報告書

二十代終わりにして初めてバイクを買った者の忘備録

⑥初めての宿泊バイクツーリングで佐多岬に行った話

 暗闇の空の下、私は二人の人間を待っていた。

 暗闇と言っても、ここからさらに闇が深くなるわけではなく、徐々に白んでいくような気配だけはある。つまりは現在、午前5時頃であるという事を遠回しに言ってみたのだ。季節は夏が終わりかける9月末。夜が明けるのも遅くなってきていた。

 

何故私が、平日はもう流石に支度しないと会社に遅刻する時間にしか起きれない私が、こんな夜更けから活動をしているのかというと、これには深い訳がある。

それは、私がライダーだからであった。

 

これから我々は一路進行を南に変え、日本本土最南端佐多岬に向かう予定だ。

遡る事二週間前、初バイクである納車二ヶ月目のセローでコケて左腕と鎖骨、左足首を骨折した私は、全治三ヶ月半の後、仲の良い同僚二人(今後、プライベート保護の観点の為名を御塩と御醤油と名付ける)から復帰祝いの会を開いて頂いていた。

 

その場で、私が骨折してバイクに乗れない間に二人がとりあえず大型二輪免許をとったこと、二人でツーリングに行った事などの裏切りの数々を耳にした。さらに嫉妬で憤慨した私に対し、俺は大型二輪免許をとったがお前はバイクで骨折するという経験を得たじゃないかと平然と言い放ち、二人で自動車学校あるあるトークに花を咲かせる様に、これは俺の復帰祝いなんだよなと黙って睨むしかなかった。

 

私は常々、世の中はバランスでできていると考えている。だから、世の中のバランスの為に、早急に、彼らに対し何らかのマウントを取ってバランスを保たなくてはならないようであった。

 

聞けば御塩がgsx250rを購入して地元を走る程度であったが、それにバイクを持たない御醤油が、親戚のバイクを借りるから日帰りツーリングに行こうと誘ったという。

つまり、日帰りで行ける距離である、私たちの地元熊本からは出ていないというわけだ。

よし、これでいこう。

 

「しかしあれだな、俺が骨折ってる間に宗谷岬くらい行ってると思ったわ。その手始めに今度俺は本土最南端の佐多岬ってとこに行く予定なんだけど、もしかしたらそれでgsxの走行距離越しちゃうかもしれないな〜」

俺は渾身のしたり顔で会話の流れを無視して言い放った。

 

GSXの持ち主である御塩は、急にどうした頭も打ったのかという顔を向けてきたが、ノリの良い御醤油は違った。

佐多岬??いいね!行こうぜ」

その一言で、自然と復帰祝賀会はツーリング計画会へと変貌した。

 

嫉妬、妬み、嫉み、この世の全ての負の感情を手にした男の、マウントの為の一言は、男たちを一路南方へと駆り立てたのだった。

 

暗闇の中、乾いた排気音が近づいてくる。

御塩、御醤油の家から、車で40分ほど南方に私の家があるため、集合場所は私の家になっていた。

 

御塩の貯金がめっちゃあるにも関わらず何故かフルローンで買った青いgsx250rと、御醤油の叔父さんから借りてきたメーターの挙動がおかしい年期の入った白色のシャドウ400が道の向こうから近づいてきているのが分かった。

 

2台は私の家の駐車場に入るなり、暗くて寒くてどれだけ危険な道のりを走ってきたかを楽しそうに訴えはじめた。

私は旅が始まる前から、同じ旅路を歩む事が出来ない疎外感を感じなければいけないようで憤慨した。

 

そこから、皆が持っているインカムが違うメーカーのものだった為、インカムの接続に苦戦すること30分。ようやく会話ができるようになった我々一向は、GSX250Rを先頭に、私のセロー、そして殿をシャドウ400の順に出発した。

 

この順は年の順というのもあるが、今後今に至る2年間ずっとツーリングではこの順序となるのは不思議に感じる。

 

3人で走るテスト走行を先々週行っており(その時、私と御醤油はインカムを既に持っていて御塩が持っていなかったため、インカムの重要性に気づいた御塩のインカムを買いにいくツーリングであった)各人バイク初心者の割には快調に旅路に着いた。

 

しかし、我々はバイク初心者という事には変わりなく、誰一人として宿泊を含んだロングツーリングというものを経験した事が無かった。

つまり、一日だいたいどれくらい走れるか、その時どれだけ疲れるかを誰も知らなかったと言える。

 

その為、我々は計画の段階でGoogle MAPを使ってルートを決めたのだが、その時重視したのは距離ではなく、合計走行時間だった。

 

そんな中で決まった今日の日程は、

全日程下道で、

熊本市より僅かに南に位置する我が町より出発し、鹿児島市内へ

鹿児島市内からフェリーで桜島に渡り、桜島経由で本土最南端佐多岬

そこから、今日の宿泊地である宮崎県宮崎市へと行くものである。

 

予定では、昼には桜島につき、18時頃には宿泊地である宮崎市に着くはずであった。

 

ごく近い未来におけるこのクソみたいな予定の崩壊など知るよしもない我々は、たわいも無い話で盛り上がりながら、差し込む朝日の中、広域農道をひた走っていた。

 

曰く、同期のあいつが先輩と付き合ってるだとか、取引先でうんこしたくなった時の失敗談とかそんな事だ。でも、こうして皆んなと一緒に走行するのは存外に楽しい。

 

複数人とインカムを繋いでツーリングをするのは、一人でツーリングすることとも、車に入ってドライブすることとも全然違う感覚だ。

 

例えるなら、おしゃべりしながらゲームをしている感覚に近い。

モンハンやスマブラをしながら、やべーやられるー!助けてーとか言い合う感じが、ツーリングしていて景色きれーとか感想を言い合ったり、俺が右車線先入るから続いて入ってきてーとか連携したりする感じと似ている気がする。

 

車で移動するのと違い、皆がプレイヤーだからこそ得られる一体感があるのだろう。

 

そんなことはさておき、鹿児島県内に入ると若干だが街並みは変わり、当たり前だが目の前を走行する車のナンバーも鹿児島ナンバーに変わる事で急に旅している感が強まってきた。

 

実を言うと、車の運転嫌いのため、自分の運転で熊本県を出た事が無かった。

だからこれが、初の自らの運転での県外進出であった。

 

その為、たかが隣県でも一事が万事新鮮に映り、否が応でもこれから行く佐多岬への期待感を高めてくれた。

天気予報通りの快晴の空模様も相まって、かなり楽しいツーリングだ。

 

鹿児島は感覚的に、熊本より道が広く、なだらかなワインディングが続いていて、流してツーリングするにはとても楽しい。

そして、市街地に入ったと思ったらすぐに桜島行きのフェリー乗り場に到着した。

時刻は11時。予定としては申し分無い時間であった。

 

フェリーといえば、まず並んでいる車を尻目にバイクの列に並び、チケットを買ってから乗船するものだと思っていたが、

鹿児島市内発→桜島行きのフェリーは、チケットを買わずにそのまま乗船し、降りてから料金所を通る際にお金を払うシステムの様だった。

 

そして幸いにも、私たちが着いた時には既にフェリーは到着しており、待ち時間なく乗船することができた。

実を言うと、ルートにフェリーを入れたのは自分の独断だった。

私はフェリーに乗って、着いたら最初から全く知らない町にワープしている様な感覚がとても好きだったのだ。

 

桜島フェリーはそこまで広くなく、さらに、三連休の初日ということもありそこそこ混んでいた。

その中で、バイク乗りの特権でいち早く乗船した我々は。テラスにある長椅子の一つに腰掛け占領した。長椅子に座るなり、御塩と御醤油の二人は大きな吐息と共に深く椅子に根を生やした様子を見て、私は探検してくる!と言い残し船の中心部へと急いだ。

 

このフェリーの中心部には食堂があり、かつて私の父がそこでうどんを食べた事があると言っていた。

これは、かつての父の軌跡を辿るエモ体験を入れる事で、旅の質を高める事が狙いだった。

 

噂に違わず、中心部の食堂では、薩摩揚げの乗ったあったかいうどんが販売していた。

この、桜島航路の航海時間は短い。

私はすぐさま一杯購入した。f:id:osumoto_moto:20220702160105j:image

航海時間は短いと思ったが、器は小降りですぐに食べ切れそうな量だった。

薩摩揚げも甘く、出汁も効いてて間食には申し分ない美味しさだった。

 

でも、特にエモさは感じなかった。

出航後すぐに、大きな桜島が眼前に現れフェリーはそこに突っ込む様に進んでいる。

エモさが過去への憧憬ならば、今はまだ見ぬ未踏の土地に足や踏み入れる事に楽しみでしかたがないといった感じだ。

 

うどんを食べ終わり、同行者の元まで戻ると、御塩はコーヒーを飲みながら近づきつつある桜島を眺めていた。

御醤油はと尋ねると、動画を撮りながら船内を探検しているらしい。

どうやら、それぞれがそれぞれのベストな過ごし方を行っていたようだった。

 

しばらくもしないうちに着岸となった。

御醤油もすぐに戻ってきて、桜島雄大さを褒め称えていた。

流石に6時過ぎから昼の今まで、バイクで走り続けてきた分、疲労感はあったがフェリーで休憩した事により体力は大部分回復できた気がする。それに、私はうどんを食べて空腹ゲージを満たす事ができた。

 

しかし、ここから先は我々3人が未踏の土地である桜島大隅半島である。

そして、フェリーから出た我々はいきなり息を呑むことになる。

 

眼前には大きな桜島御岳が聳え立ち、桜島の周囲を広く走りやすい道路がめぐっている。

視線を脇に晒すと、固まった溶岩の上に生えた木々からなる樹海が広がり、点在する避難壕は未だ桜島御岳が活火山であることを物語っていた。

どこを走っていても、視線を逸らすと大きな桜島御岳が目に入る。

これは、私たちの日常には無い光景だった。

 

つまり、私たちはツーリングを通じて非日常の中に足を踏み入れた事をこの時深く実感した。

 

私たちは、インカム越しにスゲースゲーと言い合った。

広場を見つけては、停車しそれぞれが桜島御岳を背景に愛車や旅人たる自分自身を写真に収めていた。

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桜島雄大さに触発された私たちは、見るもの触れるもの全てに新鮮味を感じその都度写真に収めた。

 

桜島から大隅半島に抜ける道は、素晴らしいの一言だった。

その為、当然ライダーも増え、多数のバイクとすれ違った。

中には手を振ってくれるライダーもいた。

当然、私たちもヤエー!!と叫びながら振り返す。私は、個人のツーリングで何度か経験があったが、御醤油は初めて出会った様で、ヤエーを大いに気に入り、すれ違うバイク、果ては郵便局のカブにまで手を振り挨拶を繰り返した。

 

桜島を抜けると大隅半島にはいった。この半島の一番南に今日の目的地である佐多岬がある。

現在の時刻は、13時を過ぎていた。

 

正直、走っては止まって写真を撮る行為により、意外にも今日の日程はだいぶ押してきていた。

しかしながら、計算上はまだ計画通りに進めば余裕がある。

そのため、御塩がフェリーの中で、雄川の滝に行こうと言ったこともあり、次の目的地は雄川の滝になった。

 

雄川の滝は、大隅半島の中腹に位置する観光地化された綺麗な滝で、実写映画キングダムの撮影では山の民の住処としてロケ地になっていた。

そして御塩は、キングダムが大好きというのは我々の知るところであったため、そりゃ行ってみたくなるよね。という風に私と御醤油にとっても行く事に特段異論はなく、むしろ楽しみが増えた程度の感覚だった。

 

桜島を出た私たちは、大隅半島から対岸の薩摩半島を望み海岸沿いをひた走る。

やはりどこでも海沿いの道は走りやすく、適度にワインディングも楽しめる良い道が多い。

 

インカムの話題も仕事場や日常の話題が半分、景色やすれ違った車のカスタムがどうのこうのといった目の前で起きている事についてが半分くらいの塩梅になってくる。

 

幸運な事に私たちの運転ペースは変わりなく、法定速度内くらいだった。

誰もカーブや直線だからと無理矢理速度を出さず、景色や走行環境を楽しんで走れた。

中でも、先頭を走る御塩の安全意識は群を抜いて高く、信号機手前では、車両用信号機が点滅する前に歩行用信号機が赤になったからと言って停車するほどであった。その為、信号機付近でははぐれないように御塩のgsx との車間距離を詰める私と御醤油が、車両用信号機が青点滅直前で停車する御塩のバイクを慌てて避け、先頭の御塩を残して走り去る場面は一度では無かった。

その度に少し先に停車した我々二人が、インカムで今のは俺らが悪いんですか??と御塩に問い詰め、俺が悪かったと言わせて遊んだ。それが、エスカレートし今後は事故車両を見つけたり対向車線のバイクがヤエーを返さなない時も、御塩に誰が悪いんやこれって振って、御塩に全ての原罪を背負わせるこの時だけのノリが発生した。

 

大隅半島に入ると次第昼食を取ろうとなっていたため、私たちはすれ違う店舗を品定めしながらひた走る。

 

「あそこの蕎麦屋がいいんじゃない?」

麺類が続く事に圧倒的な耐性がある私が指差すと、

「あれはチェーン店くさいかも」

と旅先では地のもの主義の御塩が難色を示す。

 

先程うどんを食べた私と、食にあまり興味の無い御醤油はじゃあまだ様子を見るかと見送った。

そのまま、昼飯の場所を決めきれないまま走っていると、私のハンドルに取り付けたスマートフォンから右に曲がるように指示された。

 

どうやら雄川の滝は山の中にあるらしい。

次の目的地まではGoogleマップに案内をお願いしており、基本的に我々の行動はコンピューターの支配下だ。

 

海沿いから逸れると、急に人の気配がなくなり、景色は木々で覆いつくされた。

道は両側車線でそこそこ広いが、道が複雑で木々が高く、すぐに自分の向いている方角や現在地分からなくなった。

この何処か分からない場所にいる感じは、最高に旅してる感があって楽しかった。

 

しかし、Googlemapから言われた通りに順調に走っていても何を思ったか道を間違い、路面が剥がれ崩壊し、シダの葉に覆われて行き止まりになっている狭い道に入ってしまう。

 

私はセローの機動性を活かし、一足先にUターンを完了して振り返ると、まだ御塩と御醤油がUターンに苦戦したり、スマホを睨んで首を傾げたりしていた。

夏の終わりで風は心地よく、高い広葉樹の間からさす木漏れ日の中、もはや地元の人も通らない様な場所で私たちは道に迷っていた。

私は何故か急に胸にくるものがあった。

 

全く知らない場所で、全く行ったこともない場所に行く為に、全く知らない場所に迷い込む。

これこそが、『さすらい』なのではないか。

 

私はこの謎の昂りのままに

「なんかさ……こういうのって、いいよな……」

と、同意を求める様に呟いた。

 

私の呟きに御醤油の返事は早かった。

「お前はUターン楽かもしんないけど、俺のシャドウはくそ重いんだよ!!曲がらないし!!手伝ってよ!!」

 

よく見ると、アキレス腱引き伸ばしの体制で、御醤油はシャドウをなんとか支えていた。御塩は未だに、スマホで地図を睨んでいる。

 

どうやら、こんな道草でナルシズム全開で感慨に浸っていたのは私だけの様だった。

 

それから迷い込んだ道を引き返し、一本隣りの道に入った時、私たちは一同歓声を上げた。

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抉り取られた様な深く大きい渓谷に、宙を浮くように一本の橋がかかっているのだ。

私たちは、スゲー!こえー!とインカム越しに叫びながらその橋を渡った。

橋から目を横にそらすと、どこまでも続く渓谷が両側に広がり、まるで山と山の間を飛んで渡っているかの様だった。

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渡りきった時、先頭の御塩がバイクを翻して再度その橋を渡ろうとした事にも私たちは何一つ異論を挟まずに、気のすむまで何度もバイクでその素晴らしい景色と道を堪能した。

 

皆でバイクを降りて写真を撮ると、御醤油が俺が渡る所を撮っててくれ!と言った。

 

私がバイクを脇に寄せ、橋の中腹でカメラを構える。そこを御醤油が白いアメリカンバイクで颯爽と駆け抜けるのを、私はスマホカメラをパンしながら追跡してその後姿が消えるまでカメラに納めた。

 

私がその動画を見返していると、御醤油が遠くで走り寄ってきて、手を振っている。

そうか、そうか。

そんなに楽しかったのかと嬉しく思い、私と隣にいた御塩は大きく頭の上で、ちゃんと撮れたよと両腕で丸を描いた。

 

それを見て、御醤油は慌てた様に走り寄ってきた。

そうか、そうか。そんなに今すぐ見たいか。

 

私は笑顔でスマホの画面を御醤油に向けて、出迎えると、

 

「ちげぇよ!!バイクがUターンしようとしたら倒れたんだよ!!たすけてよ!」

と御醤油が叫んだ。

 

私と御塩は顔を見合わせて、慌てて駆け寄った。

 

私たちは、山間部の道のど真ん中で、ひとりでににぽつんと倒れいるシャドウの姿を見て腹を抱えて笑った。

撮り終えて満足げにターンをしている最中にコケて、助けを呼んだら仲間が笑顔で両腕で丸を描いてる光景を考えると面白くて仕方なかった。

 

シャドウを起こして、自らのバイクに駆け寄ると、私たちのバイクを止めるためスタンドを立てたところが、実は草で隠れていたが側溝があり、そこにスタンドがはまってあバイクが倒れている事実に気づいてまたもや笑った。

 

私たちはバイクに乗っても、ずっと笑いあっていた。旅はこうでなきゃと、このトラブルを慈しんだ。ついでに言うと、ここがこの旅のハイライトだった。

 

すぐに旅路に戻ったが驚いた事に、私たちはあの橋で40分近く遊んでいた。

時刻は15時近くになっており、これは私たちが佐多岬をこの時間には出ようと言っていた時間であった。

 

旅路を急いで私たちは、ナビに言われるまま運転し、雄川の滝についた。

案内されるがままついた雄川の滝の駐車場は狭く、車を4台程度しか停めるスペースしかない。

 

映画の撮影地って聞いてたけど、まあこんなもんかとバイクを止める。

先に一台、bmwの大きなバイクが止まってたのだが、私たちが着いたのと同時に、オーナーさんとすれ違った。

その時のオーナーの顔は、如何ともし難い釈然としない顔をしていた。

 

そして私たちはすぐに、その表情の理由が分かった。

 

駐車場から少し下がったところに展望台があり、そこから雄川の滝が一望できるのだ。雄川の滝を上から。

 

上から見る雄川の滝は、ただの川の終わりといった感じで、崖の部分にはいくつか人の手が入っているのが見えなんとも言えない気分になる。更に下を見ると滝壺の周りには大勢の観光客がその滝を見上げていて、こちらは本ルートでは無かったと否が応でも理解してしまった。

 

私たちは先ほどのbmwオーナーと同じ顔をして首を傾げてた。

スマホを見てた御塩は一言、

Googleのレビューに、ナビで来たらこっちに連れてこられるけど、メインは別って書いてあるわ……」

 

無言でバイクに戻った私たちは、恐らくだが、この辺りから別々の事を考え始めていたに違いない。

 

どちらかと言えばタイムキーパー気質な私は、まずいな時間がないなーと焦りだし、生真面目だがキングダムの撮影地には行きたい御塩は、葛藤から自ら決断することを放棄していた。御醤油はせっかくだから行きたいと考えていたはずだ。

 

ただ、雰囲気的にはまぁせっかくだし行くかぁという方向になっていたため、一路下流へと足を運んだ。

 

同じ雄川の滝にしてはそこそこの時間を要して着いた、下流の滝壺入口駐車場で、私たちは再度顔を見合わせる事となった。

 

滝壺入り口には、『滝壺まで徒歩20分』と書いてあったのだ。

 

どう考えても時間オーバーであり、行くにはそれ相応の代償がある事は自明であった。

しかし、面白い事に私たちは特に話し合いも無く滝壺までの遊歩道に足を踏み入れた。

おそらく、時間は無いがそれを口にして雰囲気を悪くする事を懸念したこともある。しかしそれ以上に、まあどうにかなるかという3人に共通するよくわからない楽観主義が大きかったように思えた。

 

滝壺までの遊歩道は、かなり整備されており、ちゃんとした観光地となっていた。

 

歩きやすい遊歩道の脇には、大きな苔むした石の間に清流があり、その視線の先には聳え立つ高い崖には風情がある。

その風情の中を、我々三人が急足で駆けていく。

現在、15時半。

こっから行って帰るのに一時間くらい。

こっから佐多岬まで一時間くらい。

佐多岬から宮崎市内まで四時間くらい……。

 

私は頭を振って計算書を破り捨てる。どうせ賽は投げられたのだ。今更考えてもどうしようも無い。

そして、心のどこかでは面白くなってきたなと思っていた。この感覚はロングツーリングを好むライダーなら皆んな持っているんじゃないだろうか?

 

それにしても長い清流沿いの遊歩道を歩いていると、三人が一斉に立ち止まるポイントがあった。

 

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たっけぇ〜〜

 

あんな高い所を何度も往復していたかと思うと、少し恐ろしくなって小さく笑った。

 

さらに暫く高低差があり、濡れて滑る遊歩道を歩いて、さすがに長すぎると感じ始めた頃ようやく滝壺にたどり着いた。

 

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滝壺は青く澄んでおり、滝もさらさらと流れて神秘的で、確かにここが観光地化されていなければ山の民族的なものが住む秘境と感じるだろう。

 

着いた私たちは暫くは写真を撮ったり、無言で数秒眺めていたりしていたが、御醤油の

「よし」

と言ったのを機に踵を返した。

 

後になって何度も経験する事だが、旅では往々にして目的地よりも、その過程で偶然出会ったスポットの方が記憶に残る事は多い。

そして、私たちにとっての雄川の滝は、あの大きな橋であり、滝の素晴らしさに関わらず、私たちは既にあの橋で、雄川の滝を満喫してしまっていたようであった。

 

駐車場に戻りバイクに乗ろうとすると、御塩と御醤油がお腹がすいたと悲しみはじめた。

既に16時を超しているが、聞けば朝から何も食べていないと言う。

私は朝食とフェリーでうどんを食べたが、朝食を抜くタイプの二人は、今日になってから何も食べていなかった。

お昼は選り好みしているうちに店一つ無い所に迷い込んでしまっている。恐らく本当に今の今まで何も食べていないだろう。

 

雄川の滝の駐車場には、一件カフェが営業していた。

見た目がオシャレだから普段なら私たちは入りもしないのだが、これからの長い道のりを考えて少しカフェで休憩することとなった。

 

そして、また計算が狂う事になるのだが、個人経営のカフェは三連休の初日ということもあり、そこそこ混んでいた。

そのため、私たちが頼んだホットドッグが出てくるまで30分近く時間を要し、私たちがバイクの元に戻る頃には17時手前になっていた。

 

旅に戻った私たちのインカムは、殆ど私たちの会話を流さなかった。

今日は12時間ぶっ通しで遊んでいることもあるし、これからの工程を考えて無駄に体力を使いたく無いと考えていたのもあるだろう。

 

しばらく走ると海沿いの道に戻った。最南端への海沿いの道はいかにも南国然としていて、ヤシの木やソテツが等間隔で道路沿いに並んでいる。

もし今日はここがスタート地点であればテンションも上がったであろうが、私たちは無言で南国風の道をひた走る。たまたま先頭を走っていた私が、丁寧に葉をカットされたソテツを指差し「ちんちん」と発した言葉は二人が無視したこともあり、南の海に溶けていった。

 

最南端に近づくと、街並みは道路沿いにガソリンスタンドや民家がある程度になり、言ってしまえばその侘しさがいかにも端に来ている感覚を強めていく。

最南端佐多岬はこちらという看板で曲がると、いままでの道から一変して、草木がトンネルの様に頭上で生い茂り、アップダウンとカーブが続く、まさに岬に続く道に入ってきた。

 

この端へと続く道に入ってくると、今回の旅の目的地への期待感からいよいよやなーと、再び元気を取り戻した。

 

曲がりくねりをバイクで楽しく操舵感を味わっていると、モニュメントが現れた。

 

そこはまだ最南端では無いようだったが、他のライダーがそこで撮影をしているので私たちも待って、バイクを並べて撮影する事にした。

流石にモニュメントを見るとテンションが上がり、自分が遠い所まで来てしまったと実感が出てくる。

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代わり番こに撮影していると、別のライダーがモニュメントの手前で止まり、順番待ちが出来たのを見て、私たちは最南端へと向かった。

 

モニュメントから割と近い場所にあった、佐多岬の駐車場はかなり整備されていて、綺麗な売店もあり、しっかりとした観光地であった。

私はこの時初めて岬というものが、観光資源として成り立つ物なのだと知った。

 

5時を過ぎているというのに車の駐車量もそこそこあり、それよりも多くのバイクが停まっていた。

やはりバイカーは端っこと高い所が好きなんだろう。そして今や私もその中の一人だ。

 

駐車場から最南端の場所まではそこそこ歩くようだった。

だが、雄川の滝の時に比べて私たちは迷いも急もせず、ゆっくりと歩いて向かった。

どうやら、ここに来るまでの間に、今日を苦痛なく終わらせることを皆諦めてしまったらしい。

今更焦ってもしょうがない。せっかくここまで来たのだし、今回の旅の目的地なのだから精一杯楽しもうじゃないか。

何度もこれるとこじゃないしね(その後私は2年間で2度来る)

 

暗く長いトンネルを抜けると、基本的に下り坂の岬へと続く遊歩道が現れた。

 

私たちは、きょろきょろと辺を見渡しながら歩き、事あるごとに、あれは最南端の神社だ!とか、お前は最南端にいるケモナーだ!いやケモナーはそれ程いないはずだから熊本付近ではそうだったに違いないと、笑い合って歩いた。

 

そうして10分程歩くと、公衆トイレと共に最南端の展望台が見えてきた。

私たちは最南端の放尿を済ませると、いかにも最南端の為に作られた白い建物(18時近くの為閉館していた)を回り、展望台へと続く階段を駆け上がる。

 

展望所へ登り上がった時、私たちは無言で立ち尽くした。

270度ほど見渡せるその展望所からは、一面に広がる青色が広がっていたのだ。

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そのグラデーションのかかった青い水平線は、美しかったが、これまでも似たものはいくつか見てきた。

しかし、今回の水平線の景色にはそれまで以上の意味合いがあった。

 

もう、これ以南に道は続いていないのだ。

ここが九州の最も南であり、これより先は船や飛行機を使わなければ辿り着けないのだという事実を、その海と空のみの景観からまざまざと実感を持って教えられた。

 

ナビを使っていたこともあり、実は私は今自分がどのあたりにいるのかと言うことを、あまり理解せずここまで来てしまった。

しかし、今なら世界地図でも答えきれるなと漠然と感じた。

 

私たちは義務のように写真撮影をし終えると、展望所に座り、ぼーっと海を眺めた。

 

「結構、遠くまできたなぁ」

御醤油の感傷に浸った呟きに、私たちは静かに賛同した。

何故だかこの時は、感傷にひたり、一生この水平線を見続けられる気がしていた。

 

しかしながら、私たちが一向に立ちあがろうとしないのにはもう一つ理由があった。

 

立ち上がったら、ここから宮崎市までの強行軍が始まってしまう。

 

私たちは辛い現実から目を背け、次第に赤みを増す水平線をただひたすら眺めていた。

 

私たちが重い腰を上げたのは、座り込んでから5分ほど経ってからであった。

バイクの駐車場まで歩き、インカムを繋ぎ直してから最初に聞こえたのは、御塩の大きなため息だった。

 

ここから四時間近くかかる強行軍。既に日は落ちかかり、夕暮れの赤い空は線香花火のような脆さ感じる。

なんとかして日がある状態で、ある程度は距離を稼ぎたい。

 

「よっしゃ〜ラストランだ〜!あと、四時間しか走れないぞ!」

私はせめてもの苦し紛れで叫び、セルを回した。

現在18時、私は12時間、御塩と御醤油は13時間を通して遊び続けている。もう、楽しむ体力は無いに等しい。

 

私を先頭に走り出した我々一向は、帰りは思ったより長く感じる最南端への道を抜け、来た道を急ぎ駆け抜ける。

おそらくあと、30分もすれば暗くなり始めるだろう。

それまでにできる限り距離を稼ぎ、できることなら、大通りにでてしまいたかった。

私は気合を入れてアクセルを回した。

 

「あ、彼女から電話だ」

御醤油が呟いた。

彼はアップルウォッチを付けているので、すぐに着信が確認できる。私は機械式時計の愛好者だから羨ましい。

 

「やべーなんだろ。出ていいかな??」

今は一刻も惜しいが、彼女のいない私にとって、逆に出るなとは言えない。それは御塩も同様であった。

「そこに、とまるよ……」

私は力なく海沿いの駐車場に止まり、ヘルメットを外して御醤油の電話が終わるのを待った。

 

話を聞いていると、御醤油が早く切り上げようとした為に、通話が少し長くなることは確定したようだった。

私はバッグからコーヒーを取り出して、死にゆく太陽を眺めた。

時計と夕陽を交互に見ると、徐々に沈みゆく事が分かるなと漠然と感じていた。

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御醤油の電話が終わるのは程なくしてであったが、既に空は紺色へと染まっていた。

我々は御醤油を先頭に走り出すと、直ぐに山道に入る。

「うわっ、何も見えん!」先頭の御醤油が叫ぶ。

山道には街灯は全く無く、ヘッドライトをハイにしていないと先の道筋は何も分からない。さらに対向車がいる時は、対向車のヘッドライトが眩しく、通り過ぎるまでの数秒間は本当に何も見えなくなる。

対向車のヘッドライトに目が眩んでいる時は、頼むから先の道に何もいないでくれと祈る時間になり、数十秒毎に祈りを捧げなければいけないため、精神的に非常に疲弊した。

 

夜間走行は皆が皆初めてに近く、初めの頃は怖いだの眩しいだの叫んでいたが、次第に皆一様に言葉を発さなくなってただ無心にバイクを走らせた。

 

時間の感覚も、自分の感情も曖昧になってきた頃にようやく街に降りてきた。

久しぶりに見るヘッドライト以外の光源に感動し、たかが一時間程度暗がりにいただけにも関わらず、道の先が見えるのってこんなに素晴らしい事なのかと何気ない日常に感謝を捧げた。

 

ここはそこそこ大きい街のようであったが、正直ここがどこだか分からない。しかしながら、飲食店や地元スーパーから漏れる光の中で買い物をする人々をを眺めると、自分にとっては未知の土地だが、誰かにとっては日常の延長なんだと実感でき、不思議な気持ちになった。

 

そして、この街の光源の恩恵を受けれる時間は長くはなかった。

10分もしないうちにGoogleMapは再度郊外へと連れ出し、更には高速道路の無料区間に乗れと命令してきた。

我々一向は誰一人、二輪車での高速道路を経験したことは無かった。しかし、今更抵抗して下道に切り替える気力もないし、気がついた時にはic入り口にいる。我々3台の中型バイクは、吸い込まれる様に料金所のないicへと吸い込まれていった。

 

夜の高速区間は、どこか孤独感を強く感じる。山間部と違い視界が広く、その分どこまでも広がる闇の空間は、世界で自分だけが取り残された様な焦燥感を煽ってくる。

 

御醤油のシャドウを先頭に進んでいたが、シャドウのハイビームが全く明るく無いため直ぐに私のセローと入れ替わる。

セローはヘッドライトをledに変えていたため、幾分か明るかった。

 

「あー、まずいな。煽られてるわ」

先頭から何故か最後尾まで下がった御醤油が呟いた。

「え、後ろついてんの」と御塩

サイドミラーで確認するも、先頭からは分からない。今の区間は対面の片側一車線であるため

、後ろを抜かす事が直ぐには出来そうになかった。

「うーん、かなり距離詰められてるなー。ムカつくから、遅くしようぜ」

「追越し区間まで我慢しろって言ってこいよ」

御塩の発言に笑いながら、速度計を見るが別に遅い速度では無かった。ここは流れがはやいのだろうか。

「何か悪いことしてるわけじゃないし、普通に行こうぜ」

それを機に私たちは、再び黙々とバイクを走らせた。

インカムからは時折、手がいてーつめてーと夏用手袋を着用してきた御醤油のうめき声が聞こえるのみであった。

 

下道よりも断然大きくなった風切り音をbgmに、走ること1時間近く。

私の視線の端で、見慣れない光がついた。

 

ガソリン警告灯だ。

 

考えれば桜島を出た時に給油して以来、給油していない。セローは航続距離300キロ程であるから、ガス欠も近い距離であるのは間違いなかった。

そしてそれは、セローと航続距離がだいたい同じシャドウもであった。

 

「やべー、ガソリン切れそうかも」

「まじ?じゃあ、高速から降りるかぁ」

タンクの大きい御塩はまだ余裕があるようだった。

 

しかしながら、周りを見渡してもガソリンスタンドはおろか光さえ見えない。

ここから、高速を降りたとして果たしてガソリンスタンドは開いているのか。

 

次のicで我々は降りると、すぐさまローソンがあったのでそこの駐車場で停車した。

問題はその周りにはローソン以外何も見えない事だった。ここが明らかに郊外のさらに外側である事は容易に想像できる。

 

「あー、こっから先にガソリンスタンドあるぞ。営業中になってる」

「おっ、助かったな!」

Googlemapを睨んでいた御醤油は、暗闇の先を指差した。私は御醤油先導の元、ヘッドライトと赤く輝くガソリン警告灯を頼りに進んだが

、御醤油の案内したガソリンスタンドは暗くトラロープが巻かれていた。

 

「開いてないぞ」私が御醤油に振り向くと、

「いや、グーグル マップでは開いてるってなってんだよ」

と御醤油はスマホを私に向けてきた。

確かになってる。

 

一通り世界の大企業グーグル に悪態をついたが、それで現状が変わるわけでもない。

よく見ればグーグルマップでは、この付近のガソリンスタンドはほぼ全て営業中になっていた。だが、そのうちの一つはこのザマだったのだ。全て閉まってるんじゃないかと思えてくる。

フューエルメーターは、すでに10キロを超えていた。あと、20キロで私のセローは置物と化してしまう。

 

正直、かなり焦った。

 

「まあ、この先にも一つガソリンスタンドあるし、そこ行って無かったら電話作戦だなー」

唯一まだ、残走行距離に余裕のある御塩の提案に私たちは従った。

 

しかし、ここまで来てそんな都合のいいことが起きない事は今までの経験で学習済みであった。かくなる上は任意保険についてるガス欠の際のサポートを使わなければいけないかもしれない。

 

私は一際押し黙って御塩のgsxについていく。

御塩は、

「この先らしいなー」

とカーブを曲がっていった。

しかし、カーブ付近には何の光源もない。

 

私はさらに絶望的な気分でカーブを曲がる。

その先で、見たものは

 

普通に開いているエネオスだった。

「普通に開いてるなー」

御醤油の言葉に、私は無言で同意した。

 

ガソリンスタンドの店員は私服のおばちゃんで、こんな時間にまだ走ってるの?と私たちも思っている疑問を口にした。

 

おばちゃんは、天井から蜘蛛の糸の様に垂れ下がるノズルから次々に給油をしていく。因みに少しこぼれたが、彼女がいないと我々は詰んでいたので気にしない事にした。

給油が終わると、おばちゃんは寒いから中でコーヒーを飲んでいけと素晴らしい提案をいただいたが、先を急いでいたので気持ちだけ受け取り辞退させていただいた。でも、とても嬉しかった。

 

給油を済ませて、再度高速区間に乗ると、ナビでは、到着まで1時間半になっている。

ようやく終わりが見えてきた。

 

もう少し、もうひと踏ん張りだ!

 

我々はそう言い合って、高速の料金所を通ると通行券を取った者から待機場所に停車し、後続が取るのを待った。

 

ん??料金所???

 

おかしい。私はGoogleマップでルート案内を設定する時に、高速や有料区間はオフにしたはずだった。

 

即座にナビの画面を見る。確かに道は真っ直ぐを示し続けている。ここもルート上のはずだ。

ん?おかしい。

 

少しルート部分を拡大してみる。

んん〜??

 

あれ、微妙にダブってる??

さらに拡大する。

あ????

 

高速の脇から道が一本飛び出している!

その道が暫くは高速道路に沿って並行に進んでいるのだ!どうやら、再度高速道路に乗ってはならず、高速道路に入るicの脇道へと入らなければならないようだった。 

 

「やばい!!ここじゃない!!」

私は慌てて振り返るが、既に御醤油がゲートを通過した所であった。

 

私はスマホを振りかざし、二人に現場を説明すると、二人も状況を飲み込むにつれ愕然とした表情になった。

 

調べるとこのまま真っ直ぐいくと宮崎市とは全く関係ないところに行くようだった。

すぐさま、ここから出なくてはいけない。

 

私は踵を返し、ゲートまで行くと、対向車線側にいる職員と連絡を取ろうとした。

しかし、渡るわけにもいかないし、まごまごとゲート付近でうろつく事しかできない。

 

流石はネクスコ西日本の職員で、私が狼狽えているのを見て、ゲートについているスピーカーでどうかされましたか?ど聞いてくれた。

 

私は間違えて入ってーと言うと、あぁと声の主が出てきてくれた。

職員の人曰く、ここからUターンして出口に行くことは出来ず、一旦次の料金所に行って引き返してこなければいけないらしい。

 

私達は、出口にスッと入らせてもらえればいいと、たかをかくくっていただけに、唖然としてしまった。

 

「次の出口まで何分ですか……??」

我々はおそるおそる尋ねると、次のicまで20分ということだ。つまり、この間違って高速に入るというミスで40分のロスということだ。

私達は顔を見合わせた。

どうやら、今日は永遠に終わらないらしい。

 

一切の非は無い職員さんは、申し訳なさそうに料金はかかりませんので次のicの職員に理由を説明下さいと説明してくれた。

私達は虚に頷き、バイクに跨る。

最早、腰やケツの痛みもどこにも無い。あるのは心の無だけだった。

 

再度出発した我々は、一言も言葉を発さずに一路闇に突き進んだ。

今までは、一応、走れば走るだけ前に進んでいる実感があったが今回は違う。ただやらなくてもよかった、無駄な時間を費やしているに過ぎない。

 

私を先頭に闇雲にひたすら走り続けていると、

インカムから一言

「速いかも」と御醤油の声が聞こえた。

 

私は「あぁ」と声を漏らし、気持ちだけ速度を緩める。

 

こうして永久に思える20分を乗り越え、次のicまで辿り着いた。

一番外側の出口に入ると、すぐに職員が現れて、手持ちの入場券に再入場の確認印を押印してくれた。

前のicの職員さんが話をしてくれてたのか、スムーズに対向車線に入り直すと、次の永久の20分に向け走り始めた。

 

ここ、2時間近くは正直何も変わり映えしない景色の中を走っている。その為か、思い出して書いている現段階では、記憶が混濁してほんの一瞬の瞬間しか走っていないような気になるから不思議なのだが、当時はただひたすら永遠に続くように感じた。

 

永久の終わりに、ようやく先程入ってきたicが見えた。そこは1秒前とも、随分昔に入ってきたようにも感じる。

 

icに入ると、高速に入った時と同じ職員さんが、お疲れ様でした。と確認印を押された券を受け取り、私達は高速道路を抜け出した。

 

高速道路からようやく排出された我々は、若干の速度感覚のバグを起こしながらも、40分前に既に通っていたはずの道をようやく通過する。

 

時計を見ると、既に21時半を超えているが、どうやら順調にいけば今日のうちにはホテルに着く事が出来そうだ。

しかしながらホテルには、なにを勘違いしたか20時には着くと予約していた。

 

先の見えた我々は、トイレ休憩兼ホテルへ到着時間の変更を伝えるためコンビニ休憩を挟むこととした。

 

文明の光を久しぶり浴びた私は、母の胎内に帰ってきたような安心感を感じた。

特に朝から何も食べていない御塩達は本当に空腹だったようで、肉まんとあったかいお茶を即座に購入していた。御醤油は夏用グローブでの長時間走行で手がイかれてたようで、あったかいお茶を握りながら「なんか痛い!」と驚いている。

 

各々コンビニで用事を済まし、宮崎市内へのラストランのためにバイクの足元で肉まんをほおばりながら休憩をした。

ホテルを予約していた御塩が、到着時間の変更を電話で伝え、お醤油と私は着いてから空いている居酒屋を探した。

電話を終えた御塩が不服そうに唸った。

どうしたかと聞いてみると、

「どうもホテル、バイク止めるとこ無いらしくってー。近くの有料駐車場に止めてくれって言われたわ」

とのことだった。

バイク旅初めての我々にとって、駐車場付きなのにバイクを止めることができないホテルがあるというのは盲点だった。そういうこともあるのか……。

 

ともかく着いたら、ホテル近くの駐車場を探す必要があるらしい。

「なるほど」と私たちは重い腰を上げ、再度バイクに跨る。

今まではバイクに跨るとわくわくしていたのだが、今は深いため息が出る。さて、やるかという感じだ。

 

再び動き出したものの、目的地まで残り30分で到着するようで、どこか

道なりも今までの山道から広い車線となり、すぐさま片側2車線へとなった。

 

街並みも都市部の郊外然としており、等間隔に並んだ街頭やパチンコ店やコンビニエンスストアから漏れ出す光は、行く先を明るく照らしている。

明らかに市街地に近づいており、ようやく今日は終わるのかもしれないという実感が沸いてきた。

 

その矢先だった。

インカムから『接続が切れました』と機械音声でアナウンスがあった。

 

「え、切れた??」私は慌てて確認する。

それと当時に

「あれ、なんか言った?」御醤油の声が聞こえた。

 

「なんか今、接続がって……あれ、スマホ落とした?」

手元を見ると、スマホはハンドルマウントにくくりつけられている。

「なんだったんだろー、あれ御塩??」

私と御醤油は塩塩と連呼しながら、最後列にいる御塩をミラーで見る。御塩とgsxは確かに我々の最後尾にいて無言で共に夜道を走っている。

しかし、もう彼の声は我々に届くことはなかった……。

ただ無言に夜道を並走する彼を見て、私は火の鳥宇宙編っぽいなーと漠然と感じた。

 

「インカム充電切れた!」

信号待ちで並んだ時、御塩は叫んだ。

インカムが切れたからと言って、叫ばなくても聞こえる。

 

私たちは体力以上にすべてが満身創痍になっているようだ。

だが、もう目的地は目と鼻の先まで迫っていた。

 

道路はすでに片側3車線になっている。

どうやらここが宮崎市街地のようだ。

 

私は熊本県民特有の、福岡県以外の九州の県を無意識に田舎扱いしていたのだが、どうやら宮崎市街地は結構栄えており、道路沿いにデパートや飲食店が立ち並んでいる。

私は、宮崎といえば海とマンゴーしか無いと思いこんでいたため驚いた。

 

私達か予約したホテルはその市街地の繁華街ど真ん中にあり、近くまで来ると看板が視認できた。

 

そのホテルのロゴが見えた瞬間、ようやく長い今日が終わったことに安堵し深いため息をつく。

 

先頭にいた御醤油がハンドサインで左を指し、裏路地に入っていくと私達もそれに続いた。

左折してツープロック先を右に入るとそこは、ここ5時間近く待ち望んでいた桃源郷であるドーミーインホテルだった。

 

やっと着いたー!と皆してため息をつく。

どうやら先程の電話でホテルには駐輪スペースが無いとのことだったので、周りを見渡すと目の前にtimesがあった。

 

そこにするかとtimesの黄色い看板目指して、一同突入し、御醤油のシャドウはゲートが空き入っていく。次の私も続いて入ろうとしたのだが、先程上がったゲートが上がらない。

 

あれ?

もう一度入り直すも上がらない。

 

背筋がゾッとする感覚があった。

あれ、timesってバイク入れない?じゃあさっきシャドウが入ったのは??

 

念のため御塩のgsxに試して貰うも、ゲートは開かなかった。

 

御塩も緊張した顔になる。

「入んないの???」

御醤油がバイクを止めやって来るが、どうしてもバーは上がらない。

 

我々は知らない土地の繁華街ど真ん中で、駐輪場難民になった。

冷静に周りを見渡すと、そこは居酒屋の客やキャッチが往来しており、Times付近でウロウロしている我々は少し目立っている。

 

私はTimesの利用規約に書いてある緊急連絡先へ、急ぎ電話した。

しかし、電話はずっとコールし続けているが、なかなか繋がらない。

ここに来て焦りがつのっていく。

 

御塩と御醤油は他の駐輪場をスマホで探している。

 

2分くらい待ってようやく繋がった。

担当者が出ると、私は慌て現状を説明した。すると担当者が申し訳無さそうに一言、

「Timesにはバイクをお停めすることはできません」

衝撃だった。ただなんとなく、そうだろうなーと思ってたので、どちらかというと正式に焦らなくならなきゃいけなくなった。

 

誤ってシャドウを入れた旨を話し、精算をして出庫する旨を了承得て通話は終わった。

通話内容を、二人に話し、二人が調べた内容を確認すると、

まず近くにバイク用の駐輪場はなく、徒歩15分以上離れた市役所庁舎か、宮崎駅まで行けばあるようだった。ただ、駐輪場ならいくつかあるようでそこを確認すべきということとなった。

私たちは、とりあえずバイクを置けている御醤油がホテルへ行き、チェックインの準備とホテルの人にバイクを停める場所を聞き出すこととなり、私たちは御塩が目途をつけた駐輪場を確認することとした。

 

私と御塩は再度バイクにまたがり、深夜の繁華街の奥地へと向かった。

これまた宮崎市の繁華街はしっかりと繁華街であり、バイクを走らせる道路は路駐された車が多く停まり、ビールのケースが道路へ出されている。

居酒屋の前にたむろしている人たちから、夜23時にバイクを走らせる我々への怪訝な視線を耐え、御塩が見つけた駐輪場についた。

 

その駐輪場は、繁華街内の公園に付随しており、公園の薄汚れた公衆便所の裏にあった。

公園には23時にスケートボードをしている若者がおり、端には寝転がっている人もいた。公園出口にはキャッチがたむろしていて、こちらをジロジロながめてくる。

駐輪場内には自転車がところ狭しと並べられ、バイクは、車体の色がくすんだスクーターが一台、通路のど真ん中に停まっているのみであった。

つまり、圧倒的に己の愛車を停めるには場違いな場所であった。

 

周りを見渡していると、御塩と目が合った。

御塩も目で、ここには停めたくないと言っているのがわかる。明日の朝にはバイクは五体満足でいられる保証はなさそうだった。

 

私は別のところも探そうと提案していると、ホテルに行っている御醤油から着信がきた。

御醤油もどこか聞き出せてないと駅までバイクを停めに行かなければならない。

「どこか停めれましたか?」

御醤油の問いに、いや……とうまく答えられなかった。

「なんか、ホテルの人、こっち停めていいって言ってますけど!」

御醤油の発言に私は耳を疑った。

 

ホテルに戻ると、御醤油とホテルの従業員が待っていた。

従業員は有料ならホテルに付随する駐車場に停めてよく、ホテルの軒下ならタダで停めていいとのことだった。

私たちは、なんとも言えない気持ちで軒下にバイクを停めた。

 

荷物を受け取り、チェックインを済ませ、ロビーでサービスの夜鳴き蕎麦を食べながら、誰かがぽつりと言った。

「つまり、この時間はなんだったん??」

私も、停めれた安堵と、死ぬほど疲れている中で謎のエクストラステージの苦労を行った悲しみで、上手く自分の感情を言語化できないでいた。

夜鳴き蕎麦は、御醤油たちにとって泣くほど美味かったらしい。

 

夜鳴き蕎麦で少しばかり落ち着いた我々は、ロビーの地べたに投げ捨てていた荷物を担ぎ、最後の急に重くなった足取りで、予約していた部屋へ向かう。

 

部屋は、広々とした部屋に広いベッドが三つあるかなり良い部屋だった。

当時、新型コロナで都道府県ごとの宿泊補助が手厚かった時期であり、半額以上の割引で宿泊することができた。普段であれば、予算外なホテルなだけに普段泊まる安宿との質の違いに感動する。

そして、カードキーでロックを開け、壁の電気スイッチにカードを挿す瞬間はなぜか楽しい。

 

我々は適当に荷物を投げ捨てると、倒れこむようにベッドへダイブした。

「やっと、終わったー!」

私が言うのと同時に、皆一同にため息をついた。

ようやく終わりのないと感じた今日が終わったのだ。

 

「あー、蕎麦美味いし風呂あるし、布団気持ちいいし、駐輪場騙される以外完璧やなー」

私は言うのと同時に、最後の力を振り絞ってスマホを眺めた。

今回の宿泊補助には宮崎県内で使用できる3,000円ほどの商品券がついており、明日宮崎県を発つ我々としては、どこかで使っておきたかった。

 

現在23時であり、そろそろ飲食店も閉店しそうであるため、ホテルで休むのも早々に体に鞭を打って再度宮崎市街地に出かける。

 

最初はすき屋やファミレスなら空いてるはずだと探して歩いたが、ホテルを出てすぐの所に、チェーン店ではなさそうな居酒屋があった。

旅先のチェーン店ではなさそうな木目調の居酒屋は、基本美味いと謎の信頼がある。

「どうする?あそこにする?」「え、おれはどこでもいいけど、あそこにする?」「俺も食べれるならどこでもいいけど」「え、どうする?」「どうする?」

と誰も最終決定権を行使して責任を押し付けあいながらその居酒屋に吸い込まれていった。

 

居酒屋の暖簾をくぐると、奥から駆けつけてきたお兄さんは「あと、30分でラストオダーです」と告げてきた。元々、そこまで長居するつもりもなかったために、我々も快諾して席まで赴く。

 

この店はラストオーダー間際の割にはにぎわっており、カウンター席は常連客のような雰囲気の方々で賑わっている。

そのカウンター席の後ろに、2・3個あるテーブル席に着くと、早速メニュー表を広げた。

どうやら、この居酒屋の料理表には串や唐揚げといったお決まりの居酒屋メニューの他に郷土料理も多く、我々はチキン南蛮やワニの肉といった郷土料理を中心に頼み、飲み物は壁に大きく宮崎ハイボールのポスターが掲げてあったため、それを頼んだ。

 

飲み物が届くまで、SNSを無言で確認する。たった一日触っていないだけなのに、かなり久しぶりにSNSを見たような気になった。

 

私たちの元に宮崎ハイボールが届くと、乾杯とグラスを合わせて宮崎ハイボールをあおった。

宮崎ハイボールは、どうやら宮崎のご当地焼酎のソーダ割りのようで、スッキリしていて飲みやすい。

御醤油は三分の一ほど飲んだジョッキをテーブルの上に置くと

「いやー、死ぬかと思ったな」

と言った。

「どこがよ?」「いや、高速で俺後ろだったけどめちゃ煽られてたからね」「譲り車線なかったな~」「これでこけたら死ぬんだなーってめっちゃ冷静に思ったわ」「俺は山中でガソリン切れかかった時絶望いたけど」「あー」「マジであそこにガソリンスタンドあってよかったわ」「ある方がおかしいくらい森の中でしたよね」「無かったんじゃね……w」「え?」

 

身体中にアルコールが回ると、一気に身体が落ち着いていくのが分かる。

ようやく今日が終ったのだと実感した。

 

ワニ肉やカンガルー肉も馬刺しや鳥刺しみたいな感覚で結構美味しい。

しかしそれ以上に焼き鳥串は、いかにもな居酒屋の味がして、想像通りな分、私を安心させてくれた。

 

直ぐ様私は、二杯目の宮崎ハイボールを頼んだが、御塩と御醤油は普段からアルコールを飲まない為二杯目は烏龍茶だった。それでも居酒屋の雰囲気もあっていつも以上に軽快に話が進む。

今日我々は半日以上もインカムを繋いて話をしてきたはずだった。それでも、話すネタに尽きず閉店の時間のため退席する時には少しばかりの名残惜しさを感じた。本当の意味で今日が終ってしまう気がして、口惜しかった。

 

居酒屋で会計を済ませ外に出た。深夜0時に近い宮崎市街地の商店街は既に殆どが閉まっており、人足もまばらであった。

初めての宮崎市内であったが、もう既にこの街を知るには遅い時間だった。明日は、この街を知る前には出発するのだろう。

バイク旅の宿泊地は、本当に宿泊以上の意味を持たないのだなと少し実感した。 車での旅だと、宿泊地で何をするのかが主題になることが多いが、バイクだと宿泊地までに何をするのかが主題になることが多い。

それでも、こうして知らない街の終わりを歩くのはなんだか旅情があっていいなと感じた。

 

ホテル横のコンビニに寄って、水とスーパーカップを買い、ホテルの部屋に戻った。

部屋につくなり、御塩はテレビを付け、御醤油はスマホを見始めた為、私は断りを入れてシャワーを浴びることにした。

 

風呂から上がると、御醤油が入れ違いに風呂へ入っていった。御塩は、まだテレビを見ている。私は冷蔵庫に入れずに溶けかかったスーパーカップを食べながら、御塩にとって寝る前にテレビを見ることはルーティンの一貫なんだなと漠然と感じた。

 

スーパーカップを食べ終わると、御塩が風呂の準備をしているのを横目に、私はベッドに横になりスマホをいじり始めたのだがそこで私は寝落ちした。

 

起きると既に朝の7時前になっていた。

空は既に明るく、日がさしている。

窓の外の、少し高所から見るえる繁華街の朝の景色は自分が旅先であると実感させてくれる。

 

御塩たちは、未だ寝息を立てて寝ている。

今思い返すと、私は旅先では早く寝て次の日は早く起きて行動するタイプだった。いつもとは逆で笑える。

私は特にすることもなく、スマホを触って二人が起きるのを待っていたのだが、結局二人が起きたのはチェックアウト直前の9時半だった。それも、私が流石にチェックアウトまでに間に合わないかもと思って起こしたのだった。

 

そこから、荷物をまとめて慌ててチェックアウトを済ませて、かなり久々に乗る感覚がする十時間ぶりぐらいのバイクに跨った。

 

実を言うと、この旅行の二日目は私の記憶に殆ど残っていない。

最初の予定では、大分まで上がり温泉に入って帰ろうと予定を立てていたのであるが、もう既にそんな時間も体力も無いことはお互いに何となく分かっていたのだ。

そのため、出発こそ当初の予定通りのルートで進んでいたものの、一時間くらい先の道の駅でトイレ休憩を挟んでいた時にはもう帰るかという話に自然となっていた。

何しろ、もうそこまで大分に行くことにもバイクに乗り続けることにも、私達がワクワクしなくなっていたのだ。

 

面白いことに、帰りのルートを高千穂から阿蘇を通り帰宅すると一同決めた後は、何だか心が軽くなり再びバイクに乗ることが楽しくなり始めた。

先程、雄川の滝の楽しさをその手前の橋で使い果たしたという話をしたが、この旅のそれが1日目であったというわけだ。

だからこの旅の話は一日目が終われば、それで終わってしまう。

 

だからこそ、私達はその後高千穂へと進路を変えて阿蘇を通り帰宅した。

途中、阿蘇で天気予報に無い雨が振り、唯一合羽を持ってこなかった御塩が雨に濡れ、寒さから、インカムでの会話が寒い帰りたいbotと化したのは面白かったが割愛する。

 

結局、出発が遅れて10時頃になった割には、私が家についたのは、想像よりも遥かに早い16時頃だった。

最初に家に近づいた私は、俺こっちだから!とインカムで伝えて二人とは違う方向に舵を切り、既に見知った国道の大通りから一人別れた。

インカムからはじゃーなー!また!とか聞こえたあと、直ぐに通話距離を離れたのか「通話が切れました」とアナウンスが流れた。

その瞬間、ぐっと寂しい思いが去来した。楽しい旅が終わり、日常に帰ってきたのだ。

 

インカムの通話が終ると、自動的に私の音楽アプリと繋がり、今まで友人の声が流れていたスピーカーからチャットモンチーの染まるよが流れ始めた。

私はその曲を口ずさみながら、家につくまでの残り数分の帰路についた。

⑤人生初のバイクが納車された日

私は、わくわくで寝れなくなるタイプだ。

旅行の前の日は、必ず眠れなくなるか、上手く眠れたとしても謎に2時半ごろに目が覚めて眠れなくなってしまう。

俺は普段仕事の前の日とかどうやって寝てたんだと自問自答して、何度目かの寝返りを打ち、車に乗らないときは酒に頼り、深夜カップ麺に頼り、挫折した本を読み返してみたりもするが寝れないときは寝れないものだ。

そのくせ、翌日の旅行中にはずっと眠気が付きまとうからタチが悪い。

 

そしてその日も、私は眠れない夜を過ごしていた。

いや、正確に言えば昨日の夜あたりから胸の高鳴りを無駄に感じていた。

明日、人生初のバイクが私の手元にくるのだ。

つまりそれは、原付に一度も乗らず中型バイクの免許を取得した私にとって公道での二輪の操縦も人生初となる。

これを不安と期待に押しつぶされないわけがない。

 

私は夕食をとり終わり、風呂まで済ませると、だらだらだらだらと今まで

何度となく見てきた購入したバイクのインプレ動画を見返していた。

曰く、最高速はそうでもないがトコトコとどこまでも行きたくなるバイクらしい。曰く、初心者から上級者まで楽しませる懐の広さがあるらしい。

Youtubeの中では主に誉め言葉が飛び交っており、それを聞くたびに自分の選択は間違っていないはずだと無理やり己を納得させようとしていた。

 

実際にバイクの現車をみて購入をしたのが2週間前であったが、それからマリッジブルーなのか、いままで選択肢にすら上がっていなかったバイクに目移りがしてしまい、金を振り込んだ後にあーでおないこーでもないと自問自答を繰り返していた。

多分俺は籍を入れた後に同僚の○○ちゃんてかわいいよなぁとか言い出すタイプだろう。だから俺は愛する女性を悲しませないためにも籍を入れるつもりもない。愛する女性もいない。

 

何度目かのYSP横浜戸塚チャンネルの動画を見終えると、冴えきった目で布団にもぐりこんだ。感覚的にわかる。これは寝付けない。

そのままスマホをいじって2時3時と夜が深まってきたが、今回ばかりはそこまで焦りがなかった。

明日は一日休みだが、私は朝早くから車両を手に入れたいのをぐっと我慢して、明日の昼13時に引き渡しをお願いしていた。

しかも引き渡し場所は店舗ではなく、家の近くのダムにある広めの駐車場でお願いをしている。

つまり、俺は俺が眠れなくなることを見越して、あえて遅く起きてもいいように昼過ぎに納車を設定していた。

俺は俺の裏を読み、俺の一枚上手をとったというわけだ。

 

そうこうしていると、4時にはさすがに瞼が重くなってきた。

よし、これで起きたら人生初バイクだ。念のため、12時にはアラームを設定しておこう。

明日からは人生が一変するんだろうか?わからない。

しかし、確かなことは明日には今までにない経験ができるということだ。

期待を胸に私は眠りに落ちた。

 

・・・・・・そして、目が覚めた。

窓の外からは強烈な日差しが差し込んできている。6月の初夏にふさわしい日照だ。そして、バイクを納車されるのにも十分にふさわしい。

 

私は晴れ晴れとした気分で時計に目をやった。

 

7時

 

なんでだよ!!

ほんとお前は思い通りになんねーな!

 

寝ることすら満足にできないポンコツくんは、そこから二度寝三度寝を繰り返し、10時頃からはそわそわしだして、11時には無駄に部屋の掃除をしていた。

そして12時には行きつけの定食屋に出かけ、帰ってくると車の中に置いていたヘルメットとグローブ、コミネのジャケットを手に取り、待ち合わせの駐車場へと向かった。

ヘルメットは案外迷うことなく、少し高かったがAraiのツアークロス3の白色を購入した。

購入した理由としては、単純に私のバイクに似合いそうだったからというのもあったが、どこかで聞いたヘルメットの値段は命の値段という格言が頭に残っており、ヘルメットは妥協せずにいいものを買おうと考えて、調べた結果がツアークロス3であった。

 

待ち合わせ場所につくと、意外にも約束していた時間の10分前だというのに、すでにバイク屋さんは到着していた。

バイク屋が乗ってきたトラックの荷台には、まさに今日から私の愛車となるバイクが固定されて載っている。

 

私はそれを遠巻きに眺めながら、うれしいような、始まってしまうのかと少しもったいないようななんとも言えない心持で近づいていった。

バイク屋さんに挨拶をすると、待っていたといわんばかりに荷台からバイクを降ろして、さっそく納車説明に入った。

心の準備が出来てなかった私は内心「うお、もうはじまった!」と一瞬たじろぐ。

 

バイク屋さんのテキパキとした説明を聞きながら今後に関わることだししっかり聞こうと集中する反面、わぁ〜俺のバイクカッコいい♡わっよく見ると少しラメっぽい色味してるんだ〜かわいい〜♡といった謎の慈愛精神に脳内を支配されてなかなか説明が頭に入ってこない。

そのため、納車説明は購入者が変態の気がある場合、購入者が己のバイクを舐めまわし全箇所に頬擦りをするのを待ってから説明しなければ、こう言った弊害が生まれることをこの場で啓蒙していきたい。

 

それはともかく、説明が終わり、スペアキーやら説明書を受け取ると、バイク屋さんは、では楽しんでください!と言い残し立ち去ってしまった。

思えば今までバイク屋さんを介してしか触れ合ったことがなく、二人きりになったのはこれが初めてで少し気まずい雰囲気が流れてしまった。

今まで教習所では決められたルートしか行けなかったが、これからは何処にでも好きな時に好きなルートで行くことが出来るという当たり前の事が大きな実感として感じられた。やばい。

そして今日から今この瞬間からそれが可能なのか……。

改めて先程受け取ったバイクを見返す。

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購入したのはセロー250 ファイナルエディション

今までバイク屋で見てきたより、なんか一回り大きく感じる。

 

運転自体は半年前に通った教習所以来行っていない。なんなら、殆ど忘れてしまったと言っても過言じゃなかった。

とりあえずセローに跨ってみる。

やはり足つきは良く体制も無理がない。個人的には乗り出す前から良い乗り心地だ。

セルを回してみると、キュルン、トトトトトト。と乾いた小気味いい音とともにエンジンが震え出した。空ぶかしをしてみると、キュルンキュルンと少しかわいい音がする。この時までバイクは空ぶかしすると、水冷四気筒のようなギューンと音がするものと思い込んでいて少し驚いた。なるほど、エンジンによってここまで雰囲気や出す音が変わるのか。何かこの時初めて空冷単気筒というものが分かった気がした。

 

では出発と、クラッチを切りローギアに入れて発進する。エンストする。

オーケー、オーケー。半年振りだもんな。

再度セルを回して、クラッチを切り……エンスト。

 

俺はこのダムから一生出られないのか??羽生蛇村の住人の気持ちを体感すること5分。

ようやく、発進の感覚が掴めてきた!半クラを疎かにしていたようだ。じわじわクラッチを開放していなかったのが原因のようだった。

 

発進、ギアチェンを繰り返して、発進からの感覚もだいぶ掴んできた。

こうして、グルグル駐車場を回っていても仕方ない。

公道に出てみよう。

 

意を決して、駐車場出口で一時停止をした時、ようやくバイクに乗ってるんだという実感と公道を身体むき出して走るという恐怖が一気に襲ってきた。

 

左右をいつも以上に見渡して、ギアがローに入っている事を確認し、クラッチを緩める。今回はエンストせずにぐんっと私の身体を前に突き出した。

少し怖くなってアクセルを戻すと、思ったよりエンブレが強く車体がガタガタ言い出した。

それも怖くて仕方なくアクセルを捻るとぐんっと加速する。するにはするがすぐに加速の頭打ちをするためギアを上げると、再度ぐんっと加速した。

おお、これは

 

……怖い!!!

メーターを見るとまだ40キロしか出ていない。この速度は教習所でも一瞬到達する速度だ。

しかし、公道では目まぐるしい速度に感じる。自動車を運転している時には欠伸が出るような速度なのに、バイクだとこうも感じ方が違うのか。

 

よく聞く話、バイクは風を感じれるから良いと聞いたことがある。

しかし、今感じているこの風圧は風の暴力だった。

胸から上にかけて後ろに押されるような圧力がかかってくる。

感じるとかじゃなくて強制的に体感させられてるといった表現の方が正しい。

 

気がつくと後ろに車が連なっていた。

左ウインカーを出し、後続車を先に行かせて、車が後ろの景色からまったくいなくなるのを確認してから再度出発する。

再度40キロくらいの速度に達した時、今さっきあまりギアチェンやクラッチ操作を意識せずに出発できたことを思い出して、ヘルメットの中で微かにニヤけてしまう。

 

こうして、後続車がつくたびに脇に寄って停止して、詰まりが解消して出発する動作を繰り返していると少しずつバイクの操作に慣れて自信がついてきた。

少し自分に余裕が出来ると、道路の先以外に、その周辺の景色を眺める余裕も少し出てきた。

 

その時、

ああ、なるほどね。

って感じた。

 

これは車を乗ってる時には感じなかった感覚だ。

なんというか、言葉にするのは難しいけど、外部と自分が同じ景色の中にいるって感じだ。車に乗ってる時は、窓から見る景色は外であって境界的には『外の景色』であったのに対して、バイクにのっている今は『自分すらも景色の一部』のように感じた。

広い景色の中に自分がいて、道は少し荒れて下り坂で、風はそこそこ強くて、虫はそこそこ飛んでいる。

この道の上にある事すべてが他人事ではなく、道路条件、天候、混雑具合といった環境を感じ取りながらこの道の上を走っている。

 

おお、これは楽しいのかも知れない!

 

セローは、教習所のcb400sfより過敏に体重移動やハンドルの切れに追従して動いてくれる。

ギアは走り出すと、4速か5速にしていると大丈夫のようだ。

特に、5速で60キロ近くを加速している時が気持ちいい。

 

お!60キロ!!

いつの間にか自分は60キロで流れに乗って走れるようになっている!

 

ただ、セローはこの速度域が好きなようで、これ以上はあまり好きじゃないらしい。ハンドルがブレ始めてしまう。

もっと言うと、30〜40で走ってる方がなんかイキイキしてる気がする。

 

カーブにさしかかると、若干速度を落として車体を倒し込んでみる。

当たり前だが、motogp の選手のように倒れる訳ではないが、そもそもセローのセルフステアが強く車体は直ぐに垂直になる。

セローはカーブも結構楽しいが、少しばたつきがある。どうやら、カーブを攻めるといったことよりも、カーブ中にも通る道を変更できるような『どこを走るか』ってところが得意のようだった。

 

そうこうしていると、目標として決めていた今は誰も住んでいない祖母の家まで着いてしまった。

ここまでの道のりはざっと一時間。

車で来る時はまだかまだかと思いながらここまで来るが、今日はまだまだ走ってみたかった。

 

目標に決めた時は、しょっぱなから一時間はやりすぎだと感じていたんだけど…。

 

その時、昔から気になっていた道を思い出した。

少年の頃、祖母の家に来た時に、15分くらい車で走った先にある砂浜でよく遊んでいた。

その時に私は、砂浜の先に続く道の先が気になっていた事があった。夏の蜃気楼の先に白くて小さな民宿があり、その先はカーブで道が見えなくなるのだが、沖まで泳ぐとその先に塔の様なものが見えていた。

 

大人になり、一度その近くまで車で来たことがあったのだが、その民宿から先は道が細くなっていて車の運転嫌いな自分はそこで引き返していた。

 

よし、行ってみよう!

このセローならいけるかもしれない。

 

早速砂浜を目指して進路を変える。

この辺りは、かなりの田舎町であった。次第に民家はまばらになり、道路上の標示は殆ど消えかけ、道の両サイドからはシダの葉が覆い被さる。

 

民家の傍らには、朽ち果てた車が倉庫代わりになっていた。

私はこの雰囲気がどこか好きだった。

 

続く急カーブに悪戦苦闘し、二速と三速の境目の様な道を抜けると砂浜にでてくる。

砂浜は初夏にもかかわらず誰もいない様だ。

 

砂浜の手前の道を横切り、幼い頃遠巻きに見た白く小さい民宿を超えてカーブに入ると急に道路が狭くなる。

 

堤防と山の斜面の間にあるわずかな道路は、途中で切って再度埋めた後があり、路面はお世辞にも良いとは言えなかった。

しかし、セローは路面の悪さを気にせずぐいぐい進んでいく。

 

ギアを三速に入れ30キロ程度で進む。

向かいから車がくると確実に車同士はすれ違うことは出来ないだろう。

少し進むと、道路は山道に続いていく。

このまま、海沿いを走ると思っていたから少し残念だ。しかし、山道に入ると小さなカーブが続き、路面の状況はさらに狭く悪くなる。

 

ここは歩いて行くには遠く、車で来るには道路状況は悪すぎる。

 

でも、セローに跨って進むのはかなり楽しい!

セローのギア比は凄い。よく考えられている。

こうたった道は、ギア三速でいくと程よい安心感とこの先に何があるんだろうって冒険心が刺激され、ぐいぐいと前に進みたくなる。

路面の悪さも、自分がセローというマシンを操ってる感が出て自己肯定感が高まってくる。

 

一度、かなり荒た砂利道を抜けると、いきなり広い場所に出た。

どうやらここが行き止まりの様だ。

 

人影一つない広場の奥には、苔むした看板にナントカ自然公園と書いてあった。

看板脇から伸びる遊歩道は、オレンジのタイルが敷き詰められているが、その上には折れた枝や落ち葉がかぶさっている。

あまり、人通りは多く無いようだった。

 

セローを止め、新品のバイクシューズで荒た遊歩道を進む。

道はなだらかな登り坂で、運動不足の呪われた身体は直ぐに根を上げ、ぜひぜひと息が上がってくる。汗も吹き出して、着てくるべきでなかったコミネのジャケットの腋を濡らしてしまった。

 

しばらく進み、引き返すべきか迷った頃、前方に白い塔が見えてきた。

自分に甘い己の最後の力を振り絞り、塔に駆け寄ると、それは灯台の様であった。

初めてこの灯台を認識してから、十数年越しの訪問だ。

 

ひとしきり首を上げて灯台を眺め終わると、その横の展望台に登り、手すりに肘をついた。

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眺めはよいが、そこまで感動するって程でもなかった。でも、感慨深かった。

 

バイクを手に入れた初日に、このバイクは俺を知らない場所まで連れてきてくれた。

おそらく自分はバイクを手に入れなければ、ここまで来ることは無かったであろう。

 

手すりにもたれかかり、景色をひとしきり眺め終わると、なんか心が軽くなった気がした。

そろそろだなって思って、私は踵を返しバイクまで戻り、次こそは祖母の家を目的地にセルを回した。

 

なんかいいな、こういうの。

それがバイク納車初日の感想だ。

私はバイクに詳しくないから、上手く言葉に出来ないけど、なんかいいなって思いながら帰路についた。

 

途中、田舎道を走っていると丁字路に一台の郵便局の赤いカブが左ウインカーを出して止まっていた。

私は、右折のためそのカブの隣につけるて、左右を確認した時、郵便局のお兄さんと目があった。

 

私は、こんにちはーと会釈すると

郵便局のお兄さんは、それ、セローですよね??

と声をかけてきた。

私は驚いて、はい!今日納車でしたー!

って首を縦に振った。

車に乗っていて、そうやって話かけてもらった事はない。初めての経験だ。

 

後ろに車もいなかったので、二、三言話した時に、郵便局のお兄さんは、

実は自分も125だけどオフロード車に乗っているんですよ!結構この辺、いい道ありますよ!

って笑って言った。

私は直感的に、ここで教えて下さいよーって言うべきだと思ったが、何故か曖昧に

そうなんですねー、それじゃあ……

と言ってセローを発進させた。

 

その時は、まだ初心者だし詳しい人と繋がりを持つのはしんどいかもなって思った。

でも、その日から2年以上経過しているが、今もなお、その判断を後悔している。

④令和始めに、人生初の中型バイクを選んだ時の話

私の住む田舎町でも新型コロナウイルスの足音が聞こえ始める2020年初頭、中型バイク市場の売上は一台のバイクが独走状態だった。

そのバイクの名はレブル250。ホンダが打ち出したクルーザーバイクの新提案だった。

反った腰に、水冷単気筒、丸型液晶メーター。初見は、ん?となった人も多かったそうだが、見慣れてみるとこれがカッコいい。cb250rとの共通エンジンは、よく走ると評判だった。

 

中型バイクの免許を取り、バイクを買おうと本格的に決めた自分は、一発でレブル250が刺さった。雑誌で一覧を見たときにこれやなぁ……と感じた。

比較的身体の大きな自分は、勝手ながらアメリカン(クルーザー)が似合うと思っていた。

中古車に目を向けると、シャドウやドラッグスタークラシックとこれぞって感じにカッコイイアメリカンバイクが軒を連ねていたが、整備に自信がない上に全くマメじゃない性格の自分には現行車種以外は難しいように感じた。


レブルかぁと考えていると、2020年にモデルチェンジして発売されるという記事を目にした。大きな変更としては、ヘッドライトがledになり近未来感のあるデザインに変更されていた。また、メーターにはギアポジションインジケーターが追加され使い勝手が良くなっている。

しかしそれ以上に私に刺さったのはsエディションの存在だ。ヤバいくらいにカッコ良かった。マットブラックの車体にブラウンのシート。これが刺さらない男の子はいないと言うほどのデザインだ。

当時私はデスストラクションというゲームにハマっていて、近未来の世界でバイクで駆け回っている最中であったから、近未来感のあるデザインにクラシックな配色のsエディションは私の為に作られたとさえ感じた。

困った事に、中型バイクを買うのに、これを買わない理由は存在しなかった。

 

しかししかし、さらに困ったことに、おそらく私はこのバイクを買わないだろうなぁということもうすうす自分自身に感じ取っていた。

さすがに20数年の腐れ縁だ。御酢素ちゃんのことは俺が一番わかっている。

だってさ、こいつは人と被るのが基本的に嫌いなのだ。

 

そう、特に人と違う特技や経験がない私にとって、せめて持っているものくらい人と被りたくないというしょーもない臆病な自尊心を満たすためにはさすがに売れ行きNo,1のバイクは気が引けてしまった。

それに、やはり街中をいていればたくさんレブルが走っており、カスタムを特にするつもりも無い自分にとって差別化をしていくには難しい。

 

それともう一つ買わない理由の大きな要因として、上位機種が存在することがあった。

レブルには250の他に500という兄貴分が存在しており、未来の話になるがレブル1100もいずれ登場する運命にあった。

私はこれも未来の話であるが1年後には大型自動二輪免許を取得する分際であるにも関わらず、中型バイクを選んでいる段階では大型へステップアップする気は一切なかった。

それは、私の中型自動二輪講習がそこそこしんどかったから、しばらくは教習をしたくないというのもあったが、やはり、そんなにころころバイクを買い替えていては貯金が尽きてしまうのではないか、そんな今の私に言って聞かせたい正気を保ったことを考えていた。

それに自分自身、フラッグシップという言葉に弱いため、上位モデルが存在するとすぐにそちらへ目移りをするという確信があった。そのため、できるだけ上位機種が存在しない、又は存在していたとしても雰囲気はまるで違うものが望ましいと感じていた。

 

そうなってくると、まずレブル以外で購入候補から消えてしまったのはフルカウルモデルだ。人気もあり、豊富な上位機種が存在する。

今にして思えば250ccフルカウルは、それぞれがメーカーの個性が色濃く出ていてとても面白い。カワサキのロマンつまった4気筒のZX-25Rや、乗りやすさ重視のGSX250Rなどなどメーカーの色が250から強く出ていて面白いのだが、私は大排気量モデルに引け目を感じてすぐ乗り換えてしまうのではないかと思い候補から外れてしまった。

これはストリートファイター系も同様にである。

 

それに、今回初めてバイクを購入するにあたり、おそらく私はバイクの身軽さや機動性の高さ、それとどこか旅に出かけたくなるようなロマン性に憧れを抱いていたため、スピードや運転性能の面が特化したスポーツバイクは私にはオーバースペックのような気がしていた。

 

その考えの下に車種を選別していくと、ベストチョイスはアドベンチャーバイクになる。

中型で気になるのは2台。スズキのVストローム250とカワサキのヴェルシスX250だ。流石に初めてで外車は怖いからパス。

どちらも私が欲しい能力は十二分にあり、積載性も抜群でキャンプにもつれていけそうな、まさに旅をするためのバイクだ。

しかし、Vストロームに関しては買えない理由があった。

同時期にバイクを買った友人がGSX250Rを先に購入していたのだ。

GSX250RとVストローム250はエンジンを共通している。

流石に人とあまり被りたくないなぁとほざいておきながら、友人と共通エンジンのバイクに乗るのは嫌だった。

それ以外であれば、価格も安く私の求める性能十分で見た目も可愛くかなり候補であった。

 

となるとヴェルシスX250だが、これは良い!

十分な積載性に大きな車格、あとカワサキってのがなんかよかった。

しいて気になる点を挙げるならば3つ。私には良いと言っておきながら、あーでもないと難癖をつることに関しては才能がある。いらない。

1つ目は値段だ。新車価格は75万円近くなり少し想定より高額であった。2つ目は、大型機種が強すぎること。大排気量型にはヴェルシス1000がいるのだが性能もりもりの価格200万円超えだ。ひえー買えない。もし大型に目移りした場合高値の花を眺めることとなる。これは少し怖い。

あと3つ目だが、これはただのわがままというか性癖みたいなものなんだけど、アイコン性がもっと欲しかった。

私は昔からアイコン的なものが好きでナイキのスニーカーならエアジョーダン1、アディダスならスタンスミスといった具合にアイコンとなるシリーズを好んで買っていた。

そのため、カワサキならニンジャやZシリーズにあるようなアイコン性がヴェルシスにもう少しほしいなーと考えていた。

カワサキの大型にはアイコン性抜群のZ900RSがいる。それにZXの名前だったりメグロを復刻させたりと、ブランド名だったりアイコン意識が抜群に上手いカワサキだからこそ、ヴェルシスの新興具合は際立って気になってしまった。

人と被りたくない癖にアイコン的な物が好きとか救いがない自己矛盾は、大型を選ぶときにZ900RSが大きく呪いとなってのしかかってくるのは別の話。

しかしながらヴェルシスは、購入候補の中でもかなり欲しい一台だ。

ちなみにCRF250ラリーは、この時、オフロードバイクと思っており、大した調べなかった。個人的にオフロードバイクは一番興味がなかった。理由は簡単で、見た目がショウリョウバッタみたいでそんな好きじゃないってだけである。

 

しかし、アイコン性となると中型で思いつくのは2台ある。

ホンダのCB400sfとヤマハのSR400だ。エンジン性能を調べてみるとまったく異なる2台だが、それぞれがアイコン性抜群の名車だ。

とりわけ、私が気になったのはSR400だった。

クラシカルな佇まいと斜めに倒れた空冷単気筒エンジンの美しさ。サイドバッグを取り付けた時の旅に出かけたくなる感じ。まさに外観だけでいうと群を抜いて好みだ。これは過去の生産終了したエストレイアや、今後未来にでてくるGB350を含めてもなお、見た目だけでは一番好みであった。

 

正直、レブルから目を逸らし他のバイクを探し始めて、SR400を見たときに心の底から動揺した。

私のバイクの起源を思いだしたからだ。

前の記事で自分がバイクと初めて触れ合ったのは、高校で寮の同室の人間がバイクの雑誌を読んでいたからと言ったがアレは嘘になる。

初めては、小学生の時に読んだキノの旅というライトノベルだ。

 

私の友人のお姉さんが今思えばオタク気質な人で、遊びに行った時に本棚に大量に本があり感動した。その中でも読みやすいやつを貸して欲しいと頼むと友人のお姉さんは私にキノの旅を貸してくれた。

貴重なおねショタ体験を私はキノの旅の貸し借りに費やし、そして小学生にキノの旅を貸すチョイスもどうかと思う事もあるが、私にとってはじめてのライトノベルとなった。

今までかいけつゾロリとかを読んできた御酢素少年にとって、キノの旅にある退廃的な空気感と時折出てくる容赦ないグロ描写は衝撃的で、小学生の性癖を捻じ曲げ歪み、後戻り出来ないアングラオタク道へ突き落とすには十分な経験だった。

もはや水をぶちまけた後の盆である私にとって、その後退廃的な物に興味を示し、今の廃墟や寂れた神社を眺めにいくツーリングスタイルになるため私にとってかなり重要な一冊である。

その中で主人公はまさにSRのようなバイク(実際のモデルはブラフシューペリアってくそ高価バイク)に似ており、これに跨り旅をすることが私の人生において一本の線が入る気がしてしまった。

 

となると、SR400かなり気になる一台だ。当時、ファイナルなのではないかと噂もでており、上位排気量も現行にはおらず、乗ってる人も多いが乗る時の服装やサイドバッグで雰囲気を変えやすい。

かなり本気の購入候補だった。

強いて言うなら、セルスタートがなくキックスタートなのはかなり気になった。

右折時にエンストして泣く思いをすることは目に見えており、結構怖い。それに、面倒くさがりな自分にとって、そのキックスタートが面倒の要因になってしまった場合乗らなくなるのではないかという恐れがあった。

しかしながら、買う動機も理由も意味も出来てしまったバイクとなった。

 

ここで購入候補のバイクは全て出揃った。

第一に、ホンダのレブル250だ。個人的にはsエディションが好みでそれを購入候補にした。

第二に、カワサキのヴェルシスX250。今はめちゃくちゃ憧れてるけどこの時はカワサキのグリーンカラーが何故か苦手だったため、グレーの車体を探していた。

第三に、ヤマハのSR400。これは見た時から決めていた。ブラックが欲しい。特に余計なグラフィックがついてない最近のブラックの車体が良いと考えていた。

 

この三つをメインに購入候補車として、だらだらだらだらスマホで画像を眺めたりYouTubeでインプレ動画を見てあーでもないこーでもないと思想に耽っていた。

 

実際、買おうかなと思い立つと友人が結婚して御祝儀を搾取されたり、車の任意保険の支払いがあったりと金を使う事に躊躇うイベントがいくつかありなかなか思い切りが出なかった。

 

そこから友人がバイクを先に買い煽られたりと、そうしてようやく重い腰を上げた時には、調べ始めて半年が経っていた。

 

まず、問題になったのは私の住んでいる県にはどこにもヴェルシスX250が置いていなかった。現物確認をしたくても出来ないばかりか、購入店が遠方になってしまう。

そのため、ヴェルシスは次第に購入候補から薄れていった。

 

つまりは、新進気鋭のレブル250と伝統あるSR400の一騎打ちと相成った!!

 

両方の車両ともに現在の貯金でなんとか払うことができる。

そうと決まればだらだらしていても仕方がない。私は住民票と通帳を手に、goobikeで見つけた両方の車両が置いてある町のそこそこデカめのバイク屋さんへと走った。

 

店内には大型車両はそこまでないが、原付やカブをはじめたくさんのバイクが置いてあった。

そしてレブルは入口の入って右側すぐのところに二台鎮座していた。フロントライトのデザイン的に最新の機種だ。どうやらsエディションは無いようだ。

 

私はすぐさま近寄て来た店員に初めてのバイクである旨と購入候補はレブルとSRである旨を伝えた。

まずはレブルだ。

店員の許可をもらい、またがってみる。

・・・・・・。

うーん?? 正直な感想が、ちょっとキツイかな?と思った。

足つきが良すぎるのと膝が窮屈に感じたのだ。多分、自分とは合わないかな?と心のどこかで納得した。もしかしたら、強制的に自分自身をそう納得させてまだ他のバイクを見て回りたかったのかもしれない。

 

店員が近寄ってきて「SRも見ますか?」と声をかけてくれた。

私は、あーこれはSRになるなぁーと感じた。購入するバイクが決まってしまうー。決まってしまえばもう迷うことができない!

やはり、何かを購入する時に比較検討する作業はとても楽しい。それだけに楽しい時間の終わりの到来が一抹の寂しさを伴って感じてきた。

「あー、ちなみに店員さん的にオススメってあります??」私はせめてもの抵抗にそう聞いてみた。ちなみに何に抵抗しているのかはわからない。

店員さんは「それら以外でしたら、vストロームかセローですかねー」と私を案内した。うーん、vストロームは買えない理由があるし、セローはオフ車だ。オフ車はそんなに見た目が好みではないしなー。これはやはり決まりかな?くらいの気持ちで店員さんについていった。ただ、今後の知見の為にも跨ってみるのも悪くない。

 

vストローム250は想像以上に車体が大きかったし、跨った感触も全く悪くない。ただ、友人と寄せてしまうのは流石に出来ない。店員さんにも友人がGSXなんすよねって言うと、あははと愛想笑いをいただいた。

次はセロー250。ヤマハの伝統あるオフロードバイクだ。

実物を見た感触は正直ほかのオフロードバイクよりのっぺり感が少なくそこまでオフロード感が強くない。丸い単眼とそれを覆うカウルが耳みたいで可愛かった。

ただやっぱり、何か全体的にすっきりしていてもう少し自分の好みのデザインとは言えないかなって思ってしまった。

私は店員さんに「やっぱセローとかもオフロードとか行かないと楽しくないんですかねー?」と聞いてみた。個人的にはオフロードのような荒れた道を攻めようとかはあまり思っていない。

店員さんは「いや、セローは街乗りでも扱いやすくてお勧めですよ。ツーリングメインで使いたいならツーリングセローっていうモデルもありますしね」と言い奥のセローを指さした。

 

んん?

そこには一台、少しごつくなったセローがいた。大きめのスクリーンとハンドルガード、背部にはゴツイキャリアが存在感を出している。

あれ?このセローはなんか見た目好みだぞ??

スクリーンとハンドルガードがついただけなのに、一般的なセローより少し無骨なイメージも入り、私が気になっていたスッキリ感が減っている。これは正直、アリな見た目だった。

 

あれー、goobikeで見たときはそこまで何も思わなかったのになーと思って眺めていると気になるエンブレムがあった「serow final」この時セローはファイナルエディションを迎え最終出荷を終えたばかりだった。ちなみにSR400のファイナルはこの時はまだアナウンスは無い。

ファイナル・・・。

ファイナルという特別感に心がひかれた。ファイナルということは今後後継機が出てくることはなく、新型が出たときに今の自分の愛車と比べる必要がなくなってくる。これは良いことだ。

それに、20代後半にもなって初めてバイクに乗ることを決意している自分が、20年以上の歴史に幕を下ろすバイクに乗ることはなかなか運命めいていて、なかなかに心をひかれるものがあった。

 

「とりあえずまたがってみます?」ツーリングセローをみて膠着していた私に店員さんは促してきた。店員がバイクの群れの中から一歩前に引き出したツーリングセロー君はほかの250ccのバイクに比べ上背があるせいかなかなかに大きく見えた。これも好印象だ。だが、上背があるお言うことは身長のパラメーターを座高に極振りしたような私にとっては足つきが怖くなる。

 

恐る恐る、足を上げて跨ろうとするとゴンと膝がリアキャリアの淵に当たった。痛い。

店員さんもそこは注意したほうがいいですねと笑った。言うのが遅い。

 

改めて跨ると、腰をシートにつけた瞬間グンッと視点が下がった。サスペンションが沈み込みつま先立ちだった足元は踵までついた。うん、これはいい。まるで、バイク側が運転手を認識して、いきますか?と尋ねているみたいだ。

手を伸ばし、グリップを握ると私は、あっーと呻いた。あっー、この感じなんかいいなぁ。

いいな。いいやん。いいなぁ。

私は体を揺らしたり、フロントサスを押し込んでみたりしながら感触を確かめる。

しまったぞ、コレだ。セローに跨って、いろいろ所に旅に出て、時にはインディジョーンズばり冒険にでる妄想が頭のなかでぐるぐる回る。

降りて、車体の周りをぐるぐる回りながら外観を確認する。

私がのったのはグリーンの車体だったが、このグリーンが落ち着いた雰囲気があり好みだった。

 

フッーフッーと鼻息荒く口元に手をあて逡巡している私に、店員が近寄り「ツーリングモデルは当社ではラストです。正直熊本にはどこにもないレベルですよ」と囁いてきた。おっ、人の買う理由付け足してくるの上手いじゃーん。いいね。

それに、実はここに来る前にYSPにもよってバイクを眺めてきていたが、確かにセローはあったがツーリングセローは無かった。

 

「ちょっと一回帰っていいですか?」私は振り絞って店員さんにそう告げると、逃げるようにして家に帰った。

その夜、延々とセローについての記事を読み、動画をあさり、webikeのレビュー

に縋った。

翌る日には再び同じ店に行き、同じ店員に、昨日と同じバイクに指を差し「これで」と告げた。私は、努めて事務的に住民票を渡し、いくつかの書類を書き、明日には金額を口座に振り込むことを告げ、少し横目で購入したバイクを眺めて店舗を立ち去った。

どうやら色々な手続きを踏むため、実際に引き渡しがあるのは来週らしい。

 

私は車に戻ると、パタンとドアを閉めイグニッションを回し店舗を後にした。

いくつか目の信号で止まった時、私は足を踏みならし車を揺らした。

 

買った!買ったぞ!買ってやったぞ!!

 

こうして私はバイク乗りになった。

③中型バイク免許取得後、バイクに乗るアピールしていた俺は半年乗ることはなかった。

 自動車学校中型自動二輪学科を最終学歴に更新した私は、その翌週には免許更新を行った。

 右下の枠欄が一つ埋まったのを見た瞬間、全欄コンプリートしたい欲に駆られたが、三日もすればどうでもよくなった。

 

 私の今までの趣味が、読書、映画鑑賞と平凡趣味選手権の優勝候補を二つ押さえておきながら、今まで身の回りに同じ趣味の人があまりいなかった。その上、バイクに乗っている人間も身の回りには一人もいなかったため、今回も誰もいないだろうと職場で自慢したら、中型自動二輪免許を持っている人は沢山いた。

 特に四十代以上の男性は、義務教育かというくらい中型免許を所持していた。

 おじ様たちはNSRやらXJRやらと幼な子である僕に教え込んできたが、飲み会での自慢話と同じ匂いがしたので話半分でしか聞かなかった。

 

 同世代でいうと、私は同世代で仲のいい同僚が2人いる。

 彼らとは、最初はそこまで仲良くは無かったが、飲み会の帰りにどうしても学生時代やっていたボードゲームをやりたくて頼み込んで共にプレイして以来、休日も遊ぶ様な仲になれた。その後もボドゲだけじゃなく、サウナ行ったり釣りに行ったりしていた。

 便宜上、私が私を御酢素と名付けたため、彼らを御塩と御醤油とする。

 

 その日も仕事終わりに私のアパートの部屋に集まり、ボードゲームとしての麻雀を3人で打っていた。

 麻雀をそれまでしてこなかった彼らには、カタンドミニオンの流れで麻雀をプレイしていただいたため、私たちの中では麻雀はボードゲームの一つとなっている。

 私はリーチをかけながら、おもむろに更新した自動車免許証を場に置いた。

 あちゃー、リー棒と間違えて中型バイク免許を取得した免許証を出してしまったー!!と大袈裟に言った。私にバイクのイメージを持っていなかった彼らを驚かせる為に、私はそれまでバイクの免許取得の為に車校に通っていると言ってなかったし、免許証は麻雀が始まる前からポケットに入れていた。

 

 私は驚かれるか、ウザすぎて殺されるかを期待していたのだが、思った以上に彼らの反応は薄いものだった。

 あぁ、おめでとうと言って捨て牌を切る彼らに、もっと驚けよと憤った。

 

そうした私を見て御塩は一言、

だって俺らも中型免許もってるし

と言ってのけた。

私は驚いた。

 

結局のところ、私の周りで中型自動二輪免許を持っていない人間の方がマイノリティだったようだ。私は免許を取ることで特別な人間になったと思ったら、平凡側へ首から突っ込んでしまった。

すっかり私の優越感は消え失せ、荒涼とした羞恥心だけが残った。虎になりそうだ。

 

わたしは、

えっ、いつ…??と自分の出番にも関わらず牌を切らない罪深さを忘れて尋ねた。

 

御塩は

俺は、大学で就活終わった時かなー。高校大学でずっと原付使ってたし、欲しくなったんだよね。まあ、結局バイクには乗ってないけど。

とのたまった。成程、それなりにバイクとの歴史があるわけだ。俺のポッと急に欲しくなったのとは違う。

 

私は少しの敗北感を感じながら、頼むモテる為であってくれと願いを込めて御醤油を見た。いつの間にか私の中で、バイク免許をとった理由ダービーが始まっていた。

 

御醤油は少し言いづらそうに、

俺、昔警察学校通って辞めたっていったじゃん。実は白バイに乗りたくて警察入ったから、そん時免許取ったんだよね。まあ、その後病気見つかって白バイ乗れないって分かったから、警察辞めたんだけどさ……。と言った。

 

おっと??

急な差し込みに私は馬体を崩した。考えうる限り、バイクとの歴史としてはめちゃ強いのがきた。

 

私は黙り込み、牌を切り続けた。

 

想像以上にバイクと関わりがある人間は多い様だった。それも、私より深い関係が皆んなある。

もう既に、私がバイク免許を持っている事への特別感は消え失せてしまった。しかし、話を聞いてみると2人とも現在はバイクに乗っていないようである。

ということは、バイク免許とる理由ダービーに敗れた私だが、バイクを手に入れさえしてしまえば、愛車と私ステークスにはまだ勝てるということだ。

そう考え、じゃあそのうちバイク買うから乗せてあげれるやん……と謎の主張をして私はその後も振り込み続けた。

 

しかしながら、結局その後も、私はなかなかバイクを買わなかった。

親戚の結婚、忘れた頃にやってくる車の任意保険の更新、有馬記念アーモンドアイまさかの敗北と悲劇は続き、私は財布が軽くなる事に耐え難くなり大きな買い物に二の足を踏んでいた。

結局のところ、バイクを買うだけの勇気が無かった。

 

そして、免許取得から半年が経ち、欲しいバイクがよくわからなくなり、やはり大型欲しくなるだろうし大型免許もとって大型から乗るか??と迷走していた頃ある知らせが入った。

 

御塩がバイクを購入したとのことだった。

 

GSX250R

 

私はステークスも取り損ねた。

 

②中型自動二輪免許講習怒りのデスロード

私は車の運転が嫌いだが、普通自動車免許の講習にはあまり嫌な思い出はなかった。

高校卒業と同時に同級生と一緒に自動車学校に通ったため、そもそもそこまで苦では無かったのかもしれない。

それに、講習自体は講師の人とおしゃべりしていればいつの間にか終わるくらいの感覚であったため、どちらかと言えば、じっとしていなければいけない学科の方が苦行であった。

 

私が今回取得する中型自動二輪講習は、普通自動車免許を持っている場合、学科免除となっていた。つまり、実技講習を15回程度受ければもう免許取得というわけだ。一日に出来るコマ数は二つ。一週間程度で終わるのは少し早すぎる気がしていた。公道教習がないのだから、もっと練習して公道デビューしたかった。

 

まぁ、とどのつまり、私は中型自動二輪の講習をナメていたということだ。

 

最初の入学日は、金を払って適正検査を受けたら終わりだった。個人的に自動車学校の適正検査の様な直感的な問題を沢山解くのは好きで、試験の時隣に座った高校生が四苦八苦しているのを見て私は悦に入っていた。

 

学生時代から数段ステップアップ(数値的には体重のみだが)した私には、憧れのバイクまでのなんて事ない些細な障壁だと思った。

因みに、私は追い詰められないと情報収集とかをしないので未だにバイクっていいなー楽しそうだなーの感情のみで自動車学校にきている。

この段階になってもなお、欲しいバイクの車種すら決まって無かったし対して知らなかった。買う時になれば自然と自分が調べるだろうと思ってた。

基本的に、私は未来の自分に期待を寄せている。自己評価が低い人間の癖に何故そんなことが出来るのかはよくわからない。

 

そんなこんなで一回目の講習日、講習場にはずらりと青色の車体が並んでいた。cb400sfだ!その後ろには、その次の道のりを指し示す様にNC750が鎮座している。

割と、その光景だけでアガってきた。今からこれに跨るんだ!

 

時間になると講師が降りてきた。私は変なタイミングで入校したため受講生は少なく、私と講師のマンツーマンのようだ。

講師は眠たげな目をした初老一歩手前のおじ様だった。おじ様は、挨拶をして世間話をそこそこにすると、一番手前のcb400を倒して、たてれる?と聞いてきた。

実際、当時は少し鍛えてたのもありそのくらい余裕だった。

私が自信満々に車体を立てたのを見ると、講師が一言、じゃあ行こうか。と言ってきた。

 

??

 

私はバイクはおろか、原付すら乗った事ない。乗り方すら、分からないのだ。

困った顔でモジモジしていると、講師は言った「えっ、乗った事ないの??」ないです。「ブレーキの場所わかる?」右手のとこですよね「……これから乗るんだけどどうするの?」

しらねぇよ!!!

そもそも、俺はそう言った事を習いに来たんだよ!!は?中型自動二輪取るやつの殆どはなんらかのバイクに乗ったことある奴かよ!そんならそう書いとけよ!マジの初心者はお断りしますってさあ!!

 

そんな思いを凝縮して、私は はぁ とだけ言った。

二十余年生きてきて、大体合う人間合わない人間のことは初対面で分かる。この場合は後者だ。

バイクに乗ってすらいないのに、既に心が折れそうになった。

 

とりあえず跨って、色々と操作箇所を教えてもらった。一速とニ速の間にニュートラルがあると言う素人目線では設計ミスとしか思えない(乗ってると重要性が分かるけど)構造はなんとか理解し、フロントブレーキとクラッチを握って変速することを頭に入れていると、

「握り方が違う!こう!」

と怒られた。どうやら、フロントブレーキの握り方が悪かったらしい。

えっ、どうすればいいんですか??と問うと

「こうだよ!」と講師はにぎって見せた。

どうだよ……。

とりあえず、見様見真似でこうですか?と握ってみると

「そう!」と言われた。

違いは分からなかった。

 

一通り説明を終えると、次は講師の操るバイクに自らもバイクを操ってついていく練習になった。

出庫のため引きずったcb400sfは思った以上に重く、何故か自転車みたいに動かせると思ってた自分の妄想は簡単に砕かれた。

しかし、人生初バイクだ。心臓が鳴っているのが分かる。一体、どんな感動が待っているのだろうか??私は青色の車体に跨って、一速に入れて、アクセルを捻る。その瞬間、ドンッと加速をして──いかず、エンストした。

私がエンストすることも予想出来ず、勝手に先に飛び出していた講師はUターンをして「どうした!?」と怒鳴った。見たら分かることではあるが、エンストしましたと律儀に答えた。

何度か挑戦して、出発のコツを覚えると次はすんなり出発はできた。

次の関門は、動きながらギアチェンを行なっていく事だ。十字路に入ると、ゆっくりブレーキをかけて曲がりたい方向に車体を寄せて、ウインカーを出す。その後、クラッチを切り、左足でギアを下げて、アクセルを緩めて目線を行きたい方向に、車体を傾けてカーブする。カーブ後は、ウインカーボタンを押して、クラッチをふたたび切り、ギアを戻す。そして、……って忙し過ぎる!普段、オートマ四輪に慣れてる身としてはたかが曲がるだけで工程が多過ぎるし長過ぎる。本当に皆、こんな面倒な乗り物をありがたがって乗っているのか??そして、どこかの工程を忘れて飛ばすと講師から止められて怒られた。

そうこうしていると、一時間目が終わった。

一時間目の時点で、難しいと噂にきくスラローム一本橋もやっていないのにも関わらず、そもそもバイクを動かす事が難しい。

これは、自分は免許がとれるのか??本気でそう考えた。軽い気持ちでバイクに乗ろうと思った自分に後悔した。

しかし時間は進み二時間目、やっとの事で八の字にこれたが、そこで、ウインカーを切るタイミングについて尋ねて、講師から今まで何を見ていたんだ?と怒られ、見て分からなかったから尋ねたのにいけないことなのか?と言い返し言い合いになった。聞いていなかったのか?と言われたがヘルメットを被っているからか聞こえない(あと、考え事していて聞いてない)こともあり更に対立を深める……。

なぜ、出会って二時間も立たない人間と喧嘩をしなければいけないのだ……。

 

後に分かった事だったが、別にその講師が極端に教え方が下手だというわけではない。

他の時間に習っている生徒との関係は別に悪く無さそうだった。そして卒業後、仕事で付き合いのある方も最近バイク免許取ってたときいて、話を聞いていると、偶然同じ講師だった。私は、あの人と喧嘩して〜と言うと、えー何やらかしたんですか??と笑われた。

つまり、私だけが特にウマが合わないようだ。何故か不倶戴天の関係にならざるを得ないよう運命付けられているされている私達は、講師と生徒という形で出会ってしまったわけだ。なるほど、きっと前世では項羽と劉邦徳川家康石田三成の様な関係だったのであろう。それか、ハエとハエトリグサだ。

 

更に講師の肩を持つと、私には悪癖がある。

それは、RPGハズレの道も必ず行く病だ。ドラクエとかのRPGで明らかに正規ルートではなくて、おそらく何もないであろうハズレルートも行っておかないと気が済まない体質の人はある程度居ると思う。世界樹の迷宮では苦労するタイプの人間だ。

それを私は人生でもやる。

つまり、道に迷ったり何かの選択肢でふた通りあった場合は、やり直しが効く場面において、何故か間違った方から進めたくなるのだ。

悩んで、よくわからない場合、なんとなくハズレの方を選んでしまう。そして、それは往々にしてハズレだ。

悪癖といったが、割と自分は色々な場面で有効な方法だと思っている。なんとなくしか分からない場面で、正解の方を選んでしまうと、なんとなくのまま終わってしまうが、ハズレのルートを辿ると何故駄目だったかが見えてきてその結果、正解の形もよりくっきり見えて来る。次回以降は明確に判断ができるのだ。

しかしながら、当たり前だがそんなことは講師には関係ない。自分のやってみせた通りにやれ出来なかったら指導して補正させていくという指導方針の講師と、自分のルートを辿って行きたい私とでは相性は悪かった。

 

そんなこんなで、二時間目まで終わった。

 

二十代後半にもなってこんなに怒られることあるのかってレベルで怒られたし、それ以上に自分自身が想像以上にバイクの操作が全然出来なかった。

帰り道、リアルに明後日とった次の講習に行くか迷った。

しかし、行かないことには仕方がないので復習しようと乗っている自転車でクラッチ操作の真似事をして帰路に着いた。多分、ブゥーンとかも言っていた気がする。

 

そんな調子で始まった中型自動二輪講習だから、そこからは悪戦苦闘の連続だった。

しかし、続けていくと不思議なもので、出来るものと、出来ないものか分かってくる。

 

8の字•••楽勝!これについては、目線とアクセル操作だけ。出口でウインカーを忘れがちになる。

スラローム•••最初はまったく出来なかったが、何故かある時からバッチリと得意になった。講師も不思議がっていた。正直やってて楽しい。

一本橋•••ずっと苦手。何回しても上手く行かない。たまに上手くいっても次は上手く行かなくなる。

急制動•••最初めちゃくちゃ怒られたし、一番怒られたところ。でも、個人的には得意だし簡単だと感じた。うごご

クランク•••問題ない。ここに関しては、スムーズに行けた。8の字と同じ感覚。ハンドルを切ればいいって思った。

法規走行•••クッソ苦手。手順があるものって忘れがちになってしまう。よく、方向指示器の出し遅れ、消し忘れを指摘された。

 

こんな感じ。

なんだかんだ一番楽しいと感じる瞬間は最初に外縁を3、4周走るウォーミングアップの時だ。やっぱり、ただただバイクを走らせるのって楽しい。何回か講師が目を離している時はもう一周追加したりした。この時は、早く自由にバイク乗りてぇーと強く感じた。

それとあんまり卒研と関係ないATのスクーター講習の後に第一段階の見極めさせられて、そこそこ困惑した。あんまり重要じゃないタイミングでそういうのはやって欲しいっす……。

あと、バイクってATだからって乗りやすいわけじゃないらしい。めちゃくちゃ乗りにくいと感じた。なんだかんだ、慣れてくるとマニュアル操作が細かい操作はやり易いみたいだ。これで一本橋をやっているAT限定の人の気が知れない。尊敬する。

 

そんなこんなで、卒研まで見極め入れてあと二時間までこれた。

やっぱり、どんなに講師と合わない、操作難しいと言いつつもコマ数自体も少ない。すぐに卒研手前まで来てしまった。

そんな時、事件が起きた。

今まで楽勝だったスラロームで引っかかる様になってしまったのだ。講師もあと2回だぞ、ちゃんとしろ!と言うが、既に自分の中でもあえて間違うとかそんなレベルはとっくに終わってた。

うーん、目線や傾けるタイミングはちゃんと意識しているのに何故かもたついてしまう。安全に行けば完走はできるが早く行き過ぎる。おそらく、卒研間近でメンタル的な部分でブレーキがかかってるのだと思う。

そうこう、している内に二段階目の見極めとなった。

こんな状態で、卒研はイケるのだろうか。ましてや、一本橋も未だに不安が残っている。

大丈夫なのか……。

 

二段階の見極めは普段の講師とは違う教官が行う。今回の教官はどこか体育教師然としていた。まあ、正直ここで落とされることは滅多に無いかとは思うが緊張した。

見極めは思ったより、スムーズにできた。しかし、教官は浮かない表情でもう一回一本橋してみようかと言ってきた。

やはり、苦手な一本橋。そこだけ、タイムが少し速かったようだった。

もう一度一本橋をやってみると、教官が近寄り

「いまのでタイムは大丈夫なんだけど、落ちそうで怖かったでしょ。一本橋はゆっくりまっすぐ行くイメージじゃなくて、ハンドルをきりながらジグザグにやってみよう。怖くなったらクラッチを繋いで整える感じて」

もう一度やってみる…………できた!

今までで一番安定してできた。

私が感動していると教官が一言

「入る時に真っ直ぐ入ろうとしすぎて強くアクセル回してるから、入る時から目線は真っ直ぐでジグザグを意識してみて」

………できる!

私は愕然とした。まさかまさかの卒検一歩手前で運命の出会いを果たすとは思いもしなかった。これで、ずっと苦手意識があった一本橋はぐっと心の負担が減った。

それも、最後の一回で。

しかし、当時の私は何故か、最後の最後に自分と合う教官に当たるくらいだったら、いっそのこと知りたく無かったよ!今までの苦労が報われねぇだろ!!と運命に憤っていた。

 

そうして、二段階目の見極めも終わり、あっという間に卒検当日となった。

めちゃくちゃ緊張した。それなりに、人生色々な試験試練に晒されてたと思ったが、緊張するものは緊張する。

待合室の端っこで謎の嗚咽を繰り返していたら、担当の講師が近づいてきた。

「別に君は下手なわけじゃないから、いつも通りやればできる。かんばれ」

流石に三週間も顔を合わせていると、人となりがわかり尊敬もしてくる。今にして思えば、講師には迷惑も沢山かけたし、合わない合わないと言って合わせなかかったのは自分なんじゃないかと反省もしていた。

頑張りますと私は力強く頷き、卒検に挑んだ。自分には、担当講師の今までの教えと、見極めの時の教官から教えてもらったコツ。最後くらい、講師の期待に応えてみせよう!

私は普段とは違う色のゼッケンを来て、卒検の検査員に頭を下げ、バイクに跨った。

 

結果から言おう。

めっっっっちゃ置きにいって合格した。

 

一本橋は普通にスッーと入って、ジグザグもせずスッーと降りた。当たり前だ。直前の一回で習ったものを実戦で試すほど器用でもない。

スラロームも練習でしてるよりゆっくりとぶつからないよう。この際、タイムは無視だ。

他も、インターネットで速度指定がある場所以外は下の下限速度は無いと書いてあったため、ゆっくり頭を整理しながらゆっくりゆっくり運転した。

 

卒検終了後、私の中のDIOが勝てばよかろうなのだと叫んでいた。

 

合格証明書をもらうと、とりあえず担当講師まで挨拶に行ったが、あの後出張に行ったとの事だったため、チャリでコンビニまで行って、とりあえず目についたモトチャンプとアイス買って、家に帰ってモトチャンプ読まずにアイス食って寝た。

 

おわり

①二十代終わりまで全くバイクと関わりなかったインドアオタクがバイクを買うまでの軌跡と教習所地獄

 

私は確か、大型バイクを先日納車した筈だ。そして、それを機にこのブログを始めようと、納車の感想を新鮮なうちに書き記そうと思っていた筈だった。

 

しかし、私はいま、何故かバイクを乗り始めたところから自分語り記事にしようとしている……。

そういえば、私は映画は1からじゃないとちゃんと見れない人間だった。スターウォーズを1から順に見て若干後悔してもなお、私は一から話を進めていきたい人間のようだ。人間はなかなか変われない。

 

バイクについての最初の記憶は学生時代だ。学生寮の同部屋の奴がバイク雑誌を読んでいた。

高校時代から興味の範囲は漫画と映画にしか向いてなかった自分としては、今どき珍しい奴だなぁって思った。自分の周りにはバイクに乗ってる奴なんて一人もいなかった。

 

次の記憶は、社会人入社3年目の時、新人社員との会話だ。新人に趣味を聞いたところ、バイクです!今は、〇〇に乗ってます!って答えてきた。(バイクに何の興味も無かった自分は何の機種なのか単語を聞き取れきれなかった。バイクを調べ初めてドラッグスター400と言っていた事が分かった)

私は多分、バイク危なくない??とかバイク乗りにしたら夜になると暗くならない??と同格レベルのクソレスをかましてたと思う。

 

徹頭徹尾、バイクと縁がない人生だ。なんなら、自分が知らない事を正当化する為に、バイクなんて非効率なモノに乗ってる奴はバカだと思ってさえいた。それ自体は若干間違えじゃなかったけど。

 

そもそも、自分自身の問題として私は車の運転が嫌いだ。高校の卒業と同時に自動車運転免許を取得したが、死角は多いし、幅間隔は難しいし、何よりぶつけたらとても面倒な車の運転はずっと嫌いだった。車が嫌いなのに、ましてやバイクなんてもってのほかだ。

 

車嫌いが祟り、現在のド田舎環境で勤務してからの生活圏内は自転車で行ける範囲で、車を購入したローンについては税金を払っているものだと思い込んでた。

 

しかし、社会では時に車線という概念のない世界に、足を踏み入れなければいけない時もある。そんな時は、辛うじて舗装されている狭い路面をすれ違いの恐怖に耐えながらヨチヨチと進まなければならない。さながら、安い給料の為に鉄骨綱渡りをさせられている多重債務者の気分だ。

 

そんな田舎特有のゲキ狭なのに県道認定を受けたバグロードを走っているある時に、私の社用車の後ろにはバイクが一台連なっていた。バッグミラーには、黄緑色のバイクとまっ黒なフルフェイスヘルメットがゆらゆらと映っている。

 

私が車を路肩に寄せると、そのバイクはひらりと車をかわして抜き去っていった。

そのバイカーが私に礼を伝えたいのか、斜め下に手を下げて消え去っていくのを眺めて

 

あー、バイクはいいなぁー

 

って漠然と考えた。

その瞬間だった。頭の中でカチリと何かがハマる様な音がした。

 

あ、バイクか

 

何故かその時、バイクに乗れば万事全て上手くいくからバイクに乗らなければならないという妄想に至ってしまった。

 

夏の始まりで大きな入道雲が広がる青空の下、通る人の気持ちを1ミリも考えていない狭い山道の路肩に止まった軽ワゴンの社用車の中で、おそらく私はバイクに取り憑かれた。

 

そこから、終業まで頭の中はバイクの事でいっぱいだった。

 

先述で人は簡単には変われないと言ったがあれは嘘だ。今までバイクに興味がなかった私はただの一度バイクに追い抜かれただけでバイク好きになってしまった。

おそらく、人がなかなか変わらないのは、変わるのが面倒なだけだ。

 

それはともかく、一つ問題があった。バイクってとどのつまり何なんだ??

 

帰り道、セブンイレブンの喫煙スペースでパルムをほおばりながらバイクについて調べてみた。

 

えっ、ヤマハって楽器だけじゃなかったのか!

 

驚きだった。

 

その程度の知識量しかなかった私だが、調べるとどうやら免許を取らないとバイクに乗れないらしいという事だけはわかってきた。

 

思い立ったが吉日と、そのセブンイレブンの喫煙所で私は地元の教習所を調べ、その流れで中型二輪免許の講習を申し込んだ。

おそらく、飽き性な私は中型に乗れば満足して大型までは手を出さないだろうという算段だ。

 

そうして、その週の土曜日には入校の手続きをする様に予約を取った。

不思議と不安は無かった。だって、車嫌いで車の運転苦手な自分ですら車の免許は一発合格したのだ。

まさか、車の免許を取る資格がある18歳より2歳下から取ることが出来る免許なんぞに不覚をとるはずがない。

 

そうして、いつの間にか私はバイクに乗ることが決まってしまった。

なんとなく田舎道で降って湧いた興味で、バイクに乗ろうと思い至ったのだ。

 

人生は意外と予想外の事ばかり起きる。学生時代の自分に、俺は今バイク乗ってるぞと言ったら鼻で笑うだろう。

 

そして、これからも予想外の事は起き続ける。

中型バイクの免許取得に苦労しまくるのだ。

不覚をとり続ける17時間。

 

次回、中型免許講習!スパルタ教官とまずは自分の正解からしないと気が済まない俺。

よろしくお願いします。

 

このブログについて

はじめまして。

今回、バイク購入を機にブログを始めさせていただきました御酢素と申します。

 

名前はいま語感で決めました。

 

これが最初の記事になりますので、だいたい

1.このブログの目的

2.自己紹介

3.今後の記事予定

について書きたいと思います。

 

1.ブログの目的

 

なんですけど、納車された我が愛車を誰かに自慢したい!そして、バイクとの思い出を何かに記録したい!!って思ったからです。

 

実は、バイクに乗り始めたのはそう以前からでなくて、最近なのですが、バイクって凄く楽しいですよね!

 

車とかと比較するってのはアレですけど、バイクはただ目的地に移る手段じゃなくて、そこまでの過程にドラマがあって、なんなら過程こそが目的だったりする不思議な乗り物だと思います。

 

だからこそ、初めて友人とツーリングに行った時の記憶は今でも鮮明に思い返せます。

危険だけど、素晴らしい趣味の一つです。

 

しかし、やはり悲しいのが絵を書いたり音楽を奏でたりする趣味と比べると、残るモノがマジで記憶くらいしかないんですよ。あと、立ちゴケ跡くらい。

 

それだと、あんまりにも悲しいんでブログを使って記事として、残るモノにしていければなというのがちょっとした動機です。

 

あと、私がバイクを購入する時にかなりいろんなインプレ記事を拝見させていただきました。

私が中で私が参考になったのが、プロの細かなインプレより、バイクを納車したり試乗したバイク好きの方の直感的な感想としてのインプレでした。

 

また、今回私が購入させていただいたボンネビルt120のインプレ等はやはり国産の人気車種に比べるとかなり少なく、情報を探す事に難儀した記憶があります。

そのため、私が購入したバイクへの感想等が自分みたいな誰かの役に立てればいいなぁと思います。

 

2.自己紹介

 

については、だんだん書いてて必要かな?って気がしてきました……。

私のバイク歴はかなり浅くここ2年くらいになります。

それまでは、バイクについて興味ないばかりか原付にも乗ったことはありませんでした。そのため、今までで所有したバイクはたったの2台

 

セロー250  ⇨ ボンネビルT120

の豪速球ルートです。因みにセロー納車時が公道初登板です。

 

バイクに対しての知識ほぼゼロ!歴史ゼロなのにバイクブログを始めるのはどうなんだ???

 

3.今後の記事について

 

誰が見るのかも需要があるのかも謎のまま始めたので、今後どうなるかわかりません。

 

とりあえず、バイクについて書いていって、飽きたら他の趣味も書いていこーかなと思ってます。

 

そんな感じで、今後誰に読まれるのか分からない闇鍋を作っていく所存なのでよろしくお願いします。