⑥初めての宿泊バイクツーリングで佐多岬に行った話
暗闇の空の下、私は二人の人間を待っていた。
暗闇と言っても、ここからさらに闇が深くなるわけではなく、徐々に白んでいくような気配だけはある。つまりは現在、午前5時頃であるという事を遠回しに言ってみたのだ。季節は夏が終わりかける9月末。夜が明けるのも遅くなってきていた。
何故私が、平日はもう流石に支度しないと会社に遅刻する時間にしか起きれない私が、こんな夜更けから活動をしているのかというと、これには深い訳がある。
それは、私がライダーだからであった。
これから我々は一路進行を南に変え、日本本土最南端佐多岬に向かう予定だ。
遡る事二週間前、初バイクである納車二ヶ月目のセローでコケて左腕と鎖骨、左足首を骨折した私は、全治三ヶ月半の後、仲の良い同僚二人(今後、プライベート保護の観点の為名を御塩と御醤油と名付ける)から復帰祝いの会を開いて頂いていた。
その場で、私が骨折してバイクに乗れない間に二人がとりあえず大型二輪免許をとったこと、二人でツーリングに行った事などの裏切りの数々を耳にした。さらに嫉妬で憤慨した私に対し、俺は大型二輪免許をとったがお前はバイクで骨折するという経験を得たじゃないかと平然と言い放ち、二人で自動車学校あるあるトークに花を咲かせる様に、これは俺の復帰祝いなんだよなと黙って睨むしかなかった。
私は常々、世の中はバランスでできていると考えている。だから、世の中のバランスの為に、早急に、彼らに対し何らかのマウントを取ってバランスを保たなくてはならないようであった。
聞けば御塩がgsx250rを購入して地元を走る程度であったが、それにバイクを持たない御醤油が、親戚のバイクを借りるから日帰りツーリングに行こうと誘ったという。
つまり、日帰りで行ける距離である、私たちの地元熊本からは出ていないというわけだ。
よし、これでいこう。
「しかしあれだな、俺が骨折ってる間に宗谷岬くらい行ってると思ったわ。その手始めに今度俺は本土最南端の佐多岬ってとこに行く予定なんだけど、もしかしたらそれでgsxの走行距離越しちゃうかもしれないな〜」
俺は渾身のしたり顔で会話の流れを無視して言い放った。
GSXの持ち主である御塩は、急にどうした頭も打ったのかという顔を向けてきたが、ノリの良い御醤油は違った。
「佐多岬??いいね!行こうぜ」
その一言で、自然と復帰祝賀会はツーリング計画会へと変貌した。
嫉妬、妬み、嫉み、この世の全ての負の感情を手にした男の、マウントの為の一言は、男たちを一路南方へと駆り立てたのだった。
暗闇の中、乾いた排気音が近づいてくる。
御塩、御醤油の家から、車で40分ほど南方に私の家があるため、集合場所は私の家になっていた。
御塩の貯金がめっちゃあるにも関わらず何故かフルローンで買った青いgsx250rと、御醤油の叔父さんから借りてきたメーターの挙動がおかしい年期の入った白色のシャドウ400が道の向こうから近づいてきているのが分かった。
2台は私の家の駐車場に入るなり、暗くて寒くてどれだけ危険な道のりを走ってきたかを楽しそうに訴えはじめた。
私は旅が始まる前から、同じ旅路を歩む事が出来ない疎外感を感じなければいけないようで憤慨した。
そこから、皆が持っているインカムが違うメーカーのものだった為、インカムの接続に苦戦すること30分。ようやく会話ができるようになった我々一向は、GSX250Rを先頭に、私のセロー、そして殿をシャドウ400の順に出発した。
この順は年の順というのもあるが、今後今に至る2年間ずっとツーリングではこの順序となるのは不思議に感じる。
3人で走るテスト走行を先々週行っており(その時、私と御醤油はインカムを既に持っていて御塩が持っていなかったため、インカムの重要性に気づいた御塩のインカムを買いにいくツーリングであった)各人バイク初心者の割には快調に旅路に着いた。
しかし、我々はバイク初心者という事には変わりなく、誰一人として宿泊を含んだロングツーリングというものを経験した事が無かった。
つまり、一日だいたいどれくらい走れるか、その時どれだけ疲れるかを誰も知らなかったと言える。
その為、我々は計画の段階でGoogle MAPを使ってルートを決めたのだが、その時重視したのは距離ではなく、合計走行時間だった。
そんな中で決まった今日の日程は、
全日程下道で、
鹿児島市内からフェリーで桜島に渡り、桜島経由で本土最南端佐多岬へ
そこから、今日の宿泊地である宮崎県宮崎市へと行くものである。
予定では、昼には桜島につき、18時頃には宿泊地である宮崎市に着くはずであった。
ごく近い未来におけるこのクソみたいな予定の崩壊など知るよしもない我々は、たわいも無い話で盛り上がりながら、差し込む朝日の中、広域農道をひた走っていた。
曰く、同期のあいつが先輩と付き合ってるだとか、取引先でうんこしたくなった時の失敗談とかそんな事だ。でも、こうして皆んなと一緒に走行するのは存外に楽しい。
複数人とインカムを繋いでツーリングをするのは、一人でツーリングすることとも、車に入ってドライブすることとも全然違う感覚だ。
例えるなら、おしゃべりしながらゲームをしている感覚に近い。
モンハンやスマブラをしながら、やべーやられるー!助けてーとか言い合う感じが、ツーリングしていて景色きれーとか感想を言い合ったり、俺が右車線先入るから続いて入ってきてーとか連携したりする感じと似ている気がする。
車で移動するのと違い、皆がプレイヤーだからこそ得られる一体感があるのだろう。
そんなことはさておき、鹿児島県内に入ると若干だが街並みは変わり、当たり前だが目の前を走行する車のナンバーも鹿児島ナンバーに変わる事で急に旅している感が強まってきた。
実を言うと、車の運転嫌いのため、自分の運転で熊本県を出た事が無かった。
だからこれが、初の自らの運転での県外進出であった。
その為、たかが隣県でも一事が万事新鮮に映り、否が応でもこれから行く佐多岬への期待感を高めてくれた。
天気予報通りの快晴の空模様も相まって、かなり楽しいツーリングだ。
鹿児島は感覚的に、熊本より道が広く、なだらかなワインディングが続いていて、流してツーリングするにはとても楽しい。
そして、市街地に入ったと思ったらすぐに桜島行きのフェリー乗り場に到着した。
時刻は11時。予定としては申し分無い時間であった。
フェリーといえば、まず並んでいる車を尻目にバイクの列に並び、チケットを買ってから乗船するものだと思っていたが、
鹿児島市内発→桜島行きのフェリーは、チケットを買わずにそのまま乗船し、降りてから料金所を通る際にお金を払うシステムの様だった。
そして幸いにも、私たちが着いた時には既にフェリーは到着しており、待ち時間なく乗船することができた。
実を言うと、ルートにフェリーを入れたのは自分の独断だった。
私はフェリーに乗って、着いたら最初から全く知らない町にワープしている様な感覚がとても好きだったのだ。
桜島フェリーはそこまで広くなく、さらに、三連休の初日ということもありそこそこ混んでいた。
その中で、バイク乗りの特権でいち早く乗船した我々は。テラスにある長椅子の一つに腰掛け占領した。長椅子に座るなり、御塩と御醤油の二人は大きな吐息と共に深く椅子に根を生やした様子を見て、私は探検してくる!と言い残し船の中心部へと急いだ。
このフェリーの中心部には食堂があり、かつて私の父がそこでうどんを食べた事があると言っていた。
これは、かつての父の軌跡を辿るエモ体験を入れる事で、旅の質を高める事が狙いだった。
噂に違わず、中心部の食堂では、薩摩揚げの乗ったあったかいうどんが販売していた。
この、桜島航路の航海時間は短い。
私はすぐさま一杯購入した。
航海時間は短いと思ったが、器は小降りですぐに食べ切れそうな量だった。
薩摩揚げも甘く、出汁も効いてて間食には申し分ない美味しさだった。
でも、特にエモさは感じなかった。
出航後すぐに、大きな桜島が眼前に現れフェリーはそこに突っ込む様に進んでいる。
エモさが過去への憧憬ならば、今はまだ見ぬ未踏の土地に足や踏み入れる事に楽しみでしかたがないといった感じだ。
うどんを食べ終わり、同行者の元まで戻ると、御塩はコーヒーを飲みながら近づきつつある桜島を眺めていた。
御醤油はと尋ねると、動画を撮りながら船内を探検しているらしい。
どうやら、それぞれがそれぞれのベストな過ごし方を行っていたようだった。
しばらくもしないうちに着岸となった。
流石に6時過ぎから昼の今まで、バイクで走り続けてきた分、疲労感はあったがフェリーで休憩した事により体力は大部分回復できた気がする。それに、私はうどんを食べて空腹ゲージを満たす事ができた。
しかし、ここから先は我々3人が未踏の土地である桜島と大隅半島である。
そして、フェリーから出た我々はいきなり息を呑むことになる。
眼前には大きな桜島御岳が聳え立ち、桜島の周囲を広く走りやすい道路がめぐっている。
視線を脇に晒すと、固まった溶岩の上に生えた木々からなる樹海が広がり、点在する避難壕は未だ桜島御岳が活火山であることを物語っていた。
どこを走っていても、視線を逸らすと大きな桜島御岳が目に入る。
これは、私たちの日常には無い光景だった。
つまり、私たちはツーリングを通じて非日常の中に足を踏み入れた事をこの時深く実感した。
私たちは、インカム越しにスゲースゲーと言い合った。
広場を見つけては、停車しそれぞれが桜島御岳を背景に愛車や旅人たる自分自身を写真に収めていた。
桜島の雄大さに触発された私たちは、見るもの触れるもの全てに新鮮味を感じその都度写真に収めた。
その為、当然ライダーも増え、多数のバイクとすれ違った。
中には手を振ってくれるライダーもいた。
当然、私たちもヤエー!!と叫びながら振り返す。私は、個人のツーリングで何度か経験があったが、御醤油は初めて出会った様で、ヤエーを大いに気に入り、すれ違うバイク、果ては郵便局のカブにまで手を振り挨拶を繰り返した。
桜島を抜けると大隅半島にはいった。この半島の一番南に今日の目的地である佐多岬がある。
現在の時刻は、13時を過ぎていた。
正直、走っては止まって写真を撮る行為により、意外にも今日の日程はだいぶ押してきていた。
しかしながら、計算上はまだ計画通りに進めば余裕がある。
そのため、御塩がフェリーの中で、雄川の滝に行こうと言ったこともあり、次の目的地は雄川の滝になった。
雄川の滝は、大隅半島の中腹に位置する観光地化された綺麗な滝で、実写映画キングダムの撮影では山の民の住処としてロケ地になっていた。
そして御塩は、キングダムが大好きというのは我々の知るところであったため、そりゃ行ってみたくなるよね。という風に私と御醤油にとっても行く事に特段異論はなく、むしろ楽しみが増えた程度の感覚だった。
桜島を出た私たちは、大隅半島から対岸の薩摩半島を望み海岸沿いをひた走る。
やはりどこでも海沿いの道は走りやすく、適度にワインディングも楽しめる良い道が多い。
インカムの話題も仕事場や日常の話題が半分、景色やすれ違った車のカスタムがどうのこうのといった目の前で起きている事についてが半分くらいの塩梅になってくる。
幸運な事に私たちの運転ペースは変わりなく、法定速度内くらいだった。
誰もカーブや直線だからと無理矢理速度を出さず、景色や走行環境を楽しんで走れた。
中でも、先頭を走る御塩の安全意識は群を抜いて高く、信号機手前では、車両用信号機が点滅する前に歩行用信号機が赤になったからと言って停車するほどであった。その為、信号機付近でははぐれないように御塩のgsx との車間距離を詰める私と御醤油が、車両用信号機が青点滅直前で停車する御塩のバイクを慌てて避け、先頭の御塩を残して走り去る場面は一度では無かった。
その度に少し先に停車した我々二人が、インカムで今のは俺らが悪いんですか??と御塩に問い詰め、俺が悪かったと言わせて遊んだ。それが、エスカレートし今後は事故車両を見つけたり対向車線のバイクがヤエーを返さなない時も、御塩に誰が悪いんやこれって振って、御塩に全ての原罪を背負わせるこの時だけのノリが発生した。
大隅半島に入ると次第昼食を取ろうとなっていたため、私たちはすれ違う店舗を品定めしながらひた走る。
「あそこの蕎麦屋がいいんじゃない?」
麺類が続く事に圧倒的な耐性がある私が指差すと、
「あれはチェーン店くさいかも」
と旅先では地のもの主義の御塩が難色を示す。
先程うどんを食べた私と、食にあまり興味の無い御醤油はじゃあまだ様子を見るかと見送った。
そのまま、昼飯の場所を決めきれないまま走っていると、私のハンドルに取り付けたスマートフォンから右に曲がるように指示された。
どうやら雄川の滝は山の中にあるらしい。
次の目的地まではGoogleマップに案内をお願いしており、基本的に我々の行動はコンピューターの支配下だ。
海沿いから逸れると、急に人の気配がなくなり、景色は木々で覆いつくされた。
道は両側車線でそこそこ広いが、道が複雑で木々が高く、すぐに自分の向いている方角や現在地分からなくなった。
この何処か分からない場所にいる感じは、最高に旅してる感があって楽しかった。
しかし、Googlemapから言われた通りに順調に走っていても何を思ったか道を間違い、路面が剥がれ崩壊し、シダの葉に覆われて行き止まりになっている狭い道に入ってしまう。
私はセローの機動性を活かし、一足先にUターンを完了して振り返ると、まだ御塩と御醤油がUターンに苦戦したり、スマホを睨んで首を傾げたりしていた。
夏の終わりで風は心地よく、高い広葉樹の間からさす木漏れ日の中、もはや地元の人も通らない様な場所で私たちは道に迷っていた。
私は何故か急に胸にくるものがあった。
全く知らない場所で、全く行ったこともない場所に行く為に、全く知らない場所に迷い込む。
これこそが、『さすらい』なのではないか。
私はこの謎の昂りのままに
「なんかさ……こういうのって、いいよな……」
と、同意を求める様に呟いた。
私の呟きに御醤油の返事は早かった。
「お前はUターン楽かもしんないけど、俺のシャドウはくそ重いんだよ!!曲がらないし!!手伝ってよ!!」
よく見ると、アキレス腱引き伸ばしの体制で、御醤油はシャドウをなんとか支えていた。御塩は未だに、スマホで地図を睨んでいる。
どうやら、こんな道草でナルシズム全開で感慨に浸っていたのは私だけの様だった。
それから迷い込んだ道を引き返し、一本隣りの道に入った時、私たちは一同歓声を上げた。
抉り取られた様な深く大きい渓谷に、宙を浮くように一本の橋がかかっているのだ。
私たちは、スゲー!こえー!とインカム越しに叫びながらその橋を渡った。
橋から目を横にそらすと、どこまでも続く渓谷が両側に広がり、まるで山と山の間を飛んで渡っているかの様だった。
渡りきった時、先頭の御塩がバイクを翻して再度その橋を渡ろうとした事にも私たちは何一つ異論を挟まずに、気のすむまで何度もバイクでその素晴らしい景色と道を堪能した。
皆でバイクを降りて写真を撮ると、御醤油が俺が渡る所を撮っててくれ!と言った。
私がバイクを脇に寄せ、橋の中腹でカメラを構える。そこを御醤油が白いアメリカンバイクで颯爽と駆け抜けるのを、私はスマホカメラをパンしながら追跡してその後姿が消えるまでカメラに納めた。
私がその動画を見返していると、御醤油が遠くで走り寄ってきて、手を振っている。
そうか、そうか。
そんなに楽しかったのかと嬉しく思い、私と隣にいた御塩は大きく頭の上で、ちゃんと撮れたよと両腕で丸を描いた。
それを見て、御醤油は慌てた様に走り寄ってきた。
そうか、そうか。そんなに今すぐ見たいか。
私は笑顔でスマホの画面を御醤油に向けて、出迎えると、
「ちげぇよ!!バイクがUターンしようとしたら倒れたんだよ!!たすけてよ!」
と御醤油が叫んだ。
私と御塩は顔を見合わせて、慌てて駆け寄った。
私たちは、山間部の道のど真ん中で、ひとりでににぽつんと倒れいるシャドウの姿を見て腹を抱えて笑った。
撮り終えて満足げにターンをしている最中にコケて、助けを呼んだら仲間が笑顔で両腕で丸を描いてる光景を考えると面白くて仕方なかった。
シャドウを起こして、自らのバイクに駆け寄ると、私たちのバイクを止めるためスタンドを立てたところが、実は草で隠れていたが側溝があり、そこにスタンドがはまってあバイクが倒れている事実に気づいてまたもや笑った。
私たちはバイクに乗っても、ずっと笑いあっていた。旅はこうでなきゃと、このトラブルを慈しんだ。ついでに言うと、ここがこの旅のハイライトだった。
すぐに旅路に戻ったが驚いた事に、私たちはあの橋で40分近く遊んでいた。
時刻は15時近くになっており、これは私たちが佐多岬をこの時間には出ようと言っていた時間であった。
旅路を急いで私たちは、ナビに言われるまま運転し、雄川の滝についた。
案内されるがままついた雄川の滝の駐車場は狭く、車を4台程度しか停めるスペースしかない。
映画の撮影地って聞いてたけど、まあこんなもんかとバイクを止める。
先に一台、bmwの大きなバイクが止まってたのだが、私たちが着いたのと同時に、オーナーさんとすれ違った。
その時のオーナーの顔は、如何ともし難い釈然としない顔をしていた。
そして私たちはすぐに、その表情の理由が分かった。
駐車場から少し下がったところに展望台があり、そこから雄川の滝が一望できるのだ。雄川の滝を上から。
上から見る雄川の滝は、ただの川の終わりといった感じで、崖の部分にはいくつか人の手が入っているのが見えなんとも言えない気分になる。更に下を見ると滝壺の周りには大勢の観光客がその滝を見上げていて、こちらは本ルートでは無かったと否が応でも理解してしまった。
私たちは先ほどのbmwオーナーと同じ顔をして首を傾げてた。
スマホを見てた御塩は一言、
「Googleのレビューに、ナビで来たらこっちに連れてこられるけど、メインは別って書いてあるわ……」
無言でバイクに戻った私たちは、恐らくだが、この辺りから別々の事を考え始めていたに違いない。
どちらかと言えばタイムキーパー気質な私は、まずいな時間がないなーと焦りだし、生真面目だがキングダムの撮影地には行きたい御塩は、葛藤から自ら決断することを放棄していた。御醤油はせっかくだから行きたいと考えていたはずだ。
ただ、雰囲気的にはまぁせっかくだし行くかぁという方向になっていたため、一路下流へと足を運んだ。
同じ雄川の滝にしてはそこそこの時間を要して着いた、下流の滝壺入口駐車場で、私たちは再度顔を見合わせる事となった。
滝壺入り口には、『滝壺まで徒歩20分』と書いてあったのだ。
どう考えても時間オーバーであり、行くにはそれ相応の代償がある事は自明であった。
しかし、面白い事に私たちは特に話し合いも無く滝壺までの遊歩道に足を踏み入れた。
おそらく、時間は無いがそれを口にして雰囲気を悪くする事を懸念したこともある。しかしそれ以上に、まあどうにかなるかという3人に共通するよくわからない楽観主義が大きかったように思えた。
滝壺までの遊歩道は、かなり整備されており、ちゃんとした観光地となっていた。
歩きやすい遊歩道の脇には、大きな苔むした石の間に清流があり、その視線の先には聳え立つ高い崖には風情がある。
その風情の中を、我々三人が急足で駆けていく。
現在、15時半。
こっから行って帰るのに一時間くらい。
こっから佐多岬まで一時間くらい。
私は頭を振って計算書を破り捨てる。どうせ賽は投げられたのだ。今更考えてもどうしようも無い。
そして、心のどこかでは面白くなってきたなと思っていた。この感覚はロングツーリングを好むライダーなら皆んな持っているんじゃないだろうか?
それにしても長い清流沿いの遊歩道を歩いていると、三人が一斉に立ち止まるポイントがあった。
たっけぇ〜〜
あんな高い所を何度も往復していたかと思うと、少し恐ろしくなって小さく笑った。
さらに暫く高低差があり、濡れて滑る遊歩道を歩いて、さすがに長すぎると感じ始めた頃ようやく滝壺にたどり着いた。
滝壺は青く澄んでおり、滝もさらさらと流れて神秘的で、確かにここが観光地化されていなければ山の民族的なものが住む秘境と感じるだろう。
着いた私たちは暫くは写真を撮ったり、無言で数秒眺めていたりしていたが、御醤油の
「よし」
と言ったのを機に踵を返した。
後になって何度も経験する事だが、旅では往々にして目的地よりも、その過程で偶然出会ったスポットの方が記憶に残る事は多い。
そして、私たちにとっての雄川の滝は、あの大きな橋であり、滝の素晴らしさに関わらず、私たちは既にあの橋で、雄川の滝を満喫してしまっていたようであった。
駐車場に戻りバイクに乗ろうとすると、御塩と御醤油がお腹がすいたと悲しみはじめた。
既に16時を超しているが、聞けば朝から何も食べていないと言う。
私は朝食とフェリーでうどんを食べたが、朝食を抜くタイプの二人は、今日になってから何も食べていなかった。
お昼は選り好みしているうちに店一つ無い所に迷い込んでしまっている。恐らく本当に今の今まで何も食べていないだろう。
雄川の滝の駐車場には、一件カフェが営業していた。
見た目がオシャレだから普段なら私たちは入りもしないのだが、これからの長い道のりを考えて少しカフェで休憩することとなった。
そして、また計算が狂う事になるのだが、個人経営のカフェは三連休の初日ということもあり、そこそこ混んでいた。
そのため、私たちが頼んだホットドッグが出てくるまで30分近く時間を要し、私たちがバイクの元に戻る頃には17時手前になっていた。
旅に戻った私たちのインカムは、殆ど私たちの会話を流さなかった。
今日は12時間ぶっ通しで遊んでいることもあるし、これからの工程を考えて無駄に体力を使いたく無いと考えていたのもあるだろう。
しばらく走ると海沿いの道に戻った。最南端への海沿いの道はいかにも南国然としていて、ヤシの木やソテツが等間隔で道路沿いに並んでいる。
もし今日はここがスタート地点であればテンションも上がったであろうが、私たちは無言で南国風の道をひた走る。たまたま先頭を走っていた私が、丁寧に葉をカットされたソテツを指差し「ちんちん」と発した言葉は二人が無視したこともあり、南の海に溶けていった。
最南端に近づくと、街並みは道路沿いにガソリンスタンドや民家がある程度になり、言ってしまえばその侘しさがいかにも端に来ている感覚を強めていく。
最南端佐多岬はこちらという看板で曲がると、いままでの道から一変して、草木がトンネルの様に頭上で生い茂り、アップダウンとカーブが続く、まさに岬に続く道に入ってきた。
この端へと続く道に入ってくると、今回の旅の目的地への期待感からいよいよやなーと、再び元気を取り戻した。
曲がりくねりをバイクで楽しく操舵感を味わっていると、モニュメントが現れた。
そこはまだ最南端では無いようだったが、他のライダーがそこで撮影をしているので私たちも待って、バイクを並べて撮影する事にした。
流石にモニュメントを見るとテンションが上がり、自分が遠い所まで来てしまったと実感が出てくる。
代わり番こに撮影していると、別のライダーがモニュメントの手前で止まり、順番待ちが出来たのを見て、私たちは最南端へと向かった。
モニュメントから割と近い場所にあった、佐多岬の駐車場はかなり整備されていて、綺麗な売店もあり、しっかりとした観光地であった。
私はこの時初めて岬というものが、観光資源として成り立つ物なのだと知った。
5時を過ぎているというのに車の駐車量もそこそこあり、それよりも多くのバイクが停まっていた。
やはりバイカーは端っこと高い所が好きなんだろう。そして今や私もその中の一人だ。
駐車場から最南端の場所まではそこそこ歩くようだった。
だが、雄川の滝の時に比べて私たちは迷いも急もせず、ゆっくりと歩いて向かった。
どうやら、ここに来るまでの間に、今日を苦痛なく終わらせることを皆諦めてしまったらしい。
今更焦ってもしょうがない。せっかくここまで来たのだし、今回の旅の目的地なのだから精一杯楽しもうじゃないか。
何度もこれるとこじゃないしね(その後私は2年間で2度来る)
暗く長いトンネルを抜けると、基本的に下り坂の岬へと続く遊歩道が現れた。
私たちは、きょろきょろと辺を見渡しながら歩き、事あるごとに、あれは最南端の神社だ!とか、お前は最南端にいるケモナーだ!いやケモナーはそれ程いないはずだから熊本付近ではそうだったに違いないと、笑い合って歩いた。
そうして10分程歩くと、公衆トイレと共に最南端の展望台が見えてきた。
私たちは最南端の放尿を済ませると、いかにも最南端の為に作られた白い建物(18時近くの為閉館していた)を回り、展望台へと続く階段を駆け上がる。
展望所へ登り上がった時、私たちは無言で立ち尽くした。
270度ほど見渡せるその展望所からは、一面に広がる青色が広がっていたのだ。
そのグラデーションのかかった青い水平線は、美しかったが、これまでも似たものはいくつか見てきた。
しかし、今回の水平線の景色にはそれまで以上の意味合いがあった。
もう、これ以南に道は続いていないのだ。
ここが九州の最も南であり、これより先は船や飛行機を使わなければ辿り着けないのだという事実を、その海と空のみの景観からまざまざと実感を持って教えられた。
ナビを使っていたこともあり、実は私は今自分がどのあたりにいるのかと言うことを、あまり理解せずここまで来てしまった。
しかし、今なら世界地図でも答えきれるなと漠然と感じた。
私たちは義務のように写真撮影をし終えると、展望所に座り、ぼーっと海を眺めた。
「結構、遠くまできたなぁ」
御醤油の感傷に浸った呟きに、私たちは静かに賛同した。
何故だかこの時は、感傷にひたり、一生この水平線を見続けられる気がしていた。
しかしながら、私たちが一向に立ちあがろうとしないのにはもう一つ理由があった。
立ち上がったら、ここから宮崎市までの強行軍が始まってしまう。
私たちは辛い現実から目を背け、次第に赤みを増す水平線をただひたすら眺めていた。
私たちが重い腰を上げたのは、座り込んでから5分ほど経ってからであった。
バイクの駐車場まで歩き、インカムを繋ぎ直してから最初に聞こえたのは、御塩の大きなため息だった。
ここから四時間近くかかる強行軍。既に日は落ちかかり、夕暮れの赤い空は線香花火のような脆さ感じる。
なんとかして日がある状態で、ある程度は距離を稼ぎたい。
「よっしゃ〜ラストランだ〜!あと、四時間しか走れないぞ!」
私はせめてもの苦し紛れで叫び、セルを回した。
現在18時、私は12時間、御塩と御醤油は13時間を通して遊び続けている。もう、楽しむ体力は無いに等しい。
私を先頭に走り出した我々一向は、帰りは思ったより長く感じる最南端への道を抜け、来た道を急ぎ駆け抜ける。
おそらくあと、30分もすれば暗くなり始めるだろう。
それまでにできる限り距離を稼ぎ、できることなら、大通りにでてしまいたかった。
私は気合を入れてアクセルを回した。
「あ、彼女から電話だ」
御醤油が呟いた。
彼はアップルウォッチを付けているので、すぐに着信が確認できる。私は機械式時計の愛好者だから羨ましい。
「やべーなんだろ。出ていいかな??」
今は一刻も惜しいが、彼女のいない私にとって、逆に出るなとは言えない。それは御塩も同様であった。
「そこに、とまるよ……」
私は力なく海沿いの駐車場に止まり、ヘルメットを外して御醤油の電話が終わるのを待った。
話を聞いていると、御醤油が早く切り上げようとした為に、通話が少し長くなることは確定したようだった。
私はバッグからコーヒーを取り出して、死にゆく太陽を眺めた。
時計と夕陽を交互に見ると、徐々に沈みゆく事が分かるなと漠然と感じていた。
御醤油の電話が終わるのは程なくしてであったが、既に空は紺色へと染まっていた。
我々は御醤油を先頭に走り出すと、直ぐに山道に入る。
「うわっ、何も見えん!」先頭の御醤油が叫ぶ。
山道には街灯は全く無く、ヘッドライトをハイにしていないと先の道筋は何も分からない。さらに対向車がいる時は、対向車のヘッドライトが眩しく、通り過ぎるまでの数秒間は本当に何も見えなくなる。
対向車のヘッドライトに目が眩んでいる時は、頼むから先の道に何もいないでくれと祈る時間になり、数十秒毎に祈りを捧げなければいけないため、精神的に非常に疲弊した。
夜間走行は皆が皆初めてに近く、初めの頃は怖いだの眩しいだの叫んでいたが、次第に皆一様に言葉を発さなくなってただ無心にバイクを走らせた。
時間の感覚も、自分の感情も曖昧になってきた頃にようやく街に降りてきた。
久しぶりに見るヘッドライト以外の光源に感動し、たかが一時間程度暗がりにいただけにも関わらず、道の先が見えるのってこんなに素晴らしい事なのかと何気ない日常に感謝を捧げた。
ここはそこそこ大きい街のようであったが、正直ここがどこだか分からない。しかしながら、飲食店や地元スーパーから漏れる光の中で買い物をする人々をを眺めると、自分にとっては未知の土地だが、誰かにとっては日常の延長なんだと実感でき、不思議な気持ちになった。
そして、この街の光源の恩恵を受けれる時間は長くはなかった。
10分もしないうちにGoogleMapは再度郊外へと連れ出し、更には高速道路の無料区間に乗れと命令してきた。
我々一向は誰一人、二輪車での高速道路を経験したことは無かった。しかし、今更抵抗して下道に切り替える気力もないし、気がついた時にはic入り口にいる。我々3台の中型バイクは、吸い込まれる様に料金所のないicへと吸い込まれていった。
夜の高速区間は、どこか孤独感を強く感じる。山間部と違い視界が広く、その分どこまでも広がる闇の空間は、世界で自分だけが取り残された様な焦燥感を煽ってくる。
御醤油のシャドウを先頭に進んでいたが、シャドウのハイビームが全く明るく無いため直ぐに私のセローと入れ替わる。
セローはヘッドライトをledに変えていたため、幾分か明るかった。
「あー、まずいな。煽られてるわ」
先頭から何故か最後尾まで下がった御醤油が呟いた。
「え、後ろついてんの」と御塩
サイドミラーで確認するも、先頭からは分からない。今の区間は対面の片側一車線であるため
、後ろを抜かす事が直ぐには出来そうになかった。
「うーん、かなり距離詰められてるなー。ムカつくから、遅くしようぜ」
「追越し区間まで我慢しろって言ってこいよ」
御塩の発言に笑いながら、速度計を見るが別に遅い速度では無かった。ここは流れがはやいのだろうか。
「何か悪いことしてるわけじゃないし、普通に行こうぜ」
それを機に私たちは、再び黙々とバイクを走らせた。
インカムからは時折、手がいてーつめてーと夏用手袋を着用してきた御醤油のうめき声が聞こえるのみであった。
下道よりも断然大きくなった風切り音をbgmに、走ること1時間近く。
私の視線の端で、見慣れない光がついた。
ガソリン警告灯だ。
考えれば桜島を出た時に給油して以来、給油していない。セローは航続距離300キロ程であるから、ガス欠も近い距離であるのは間違いなかった。
そしてそれは、セローと航続距離がだいたい同じシャドウもであった。
「やべー、ガソリン切れそうかも」
「まじ?じゃあ、高速から降りるかぁ」
タンクの大きい御塩はまだ余裕があるようだった。
しかしながら、周りを見渡してもガソリンスタンドはおろか光さえ見えない。
ここから、高速を降りたとして果たしてガソリンスタンドは開いているのか。
次のicで我々は降りると、すぐさまローソンがあったのでそこの駐車場で停車した。
問題はその周りにはローソン以外何も見えない事だった。ここが明らかに郊外のさらに外側である事は容易に想像できる。
「あー、こっから先にガソリンスタンドあるぞ。営業中になってる」
「おっ、助かったな!」
Googlemapを睨んでいた御醤油は、暗闇の先を指差した。私は御醤油先導の元、ヘッドライトと赤く輝くガソリン警告灯を頼りに進んだが
、御醤油の案内したガソリンスタンドは暗くトラロープが巻かれていた。
「開いてないぞ」私が御醤油に振り向くと、
「いや、グーグル マップでは開いてるってなってんだよ」
と御醤油はスマホを私に向けてきた。
確かになってる。
一通り世界の大企業グーグル に悪態をついたが、それで現状が変わるわけでもない。
よく見ればグーグルマップでは、この付近のガソリンスタンドはほぼ全て営業中になっていた。だが、そのうちの一つはこのザマだったのだ。全て閉まってるんじゃないかと思えてくる。
フューエルメーターは、すでに10キロを超えていた。あと、20キロで私のセローは置物と化してしまう。
正直、かなり焦った。
「まあ、この先にも一つガソリンスタンドあるし、そこ行って無かったら電話作戦だなー」
唯一まだ、残走行距離に余裕のある御塩の提案に私たちは従った。
しかし、ここまで来てそんな都合のいいことが起きない事は今までの経験で学習済みであった。かくなる上は任意保険についてるガス欠の際のサポートを使わなければいけないかもしれない。
私は一際押し黙って御塩のgsxについていく。
御塩は、
「この先らしいなー」
とカーブを曲がっていった。
しかし、カーブ付近には何の光源もない。
私はさらに絶望的な気分でカーブを曲がる。
その先で、見たものは
普通に開いているエネオスだった。
「普通に開いてるなー」
御醤油の言葉に、私は無言で同意した。
ガソリンスタンドの店員は私服のおばちゃんで、こんな時間にまだ走ってるの?と私たちも思っている疑問を口にした。
おばちゃんは、天井から蜘蛛の糸の様に垂れ下がるノズルから次々に給油をしていく。因みに少しこぼれたが、彼女がいないと我々は詰んでいたので気にしない事にした。
給油が終わると、おばちゃんは寒いから中でコーヒーを飲んでいけと素晴らしい提案をいただいたが、先を急いでいたので気持ちだけ受け取り辞退させていただいた。でも、とても嬉しかった。
給油を済ませて、再度高速区間に乗ると、ナビでは、到着まで1時間半になっている。
ようやく終わりが見えてきた。
もう少し、もうひと踏ん張りだ!
我々はそう言い合って、高速の料金所を通ると通行券を取った者から待機場所に停車し、後続が取るのを待った。
ん??料金所???
おかしい。私はGoogleマップでルート案内を設定する時に、高速や有料区間はオフにしたはずだった。
即座にナビの画面を見る。確かに道は真っ直ぐを示し続けている。ここもルート上のはずだ。
ん?おかしい。
少しルート部分を拡大してみる。
んん〜??
あれ、微妙にダブってる??
さらに拡大する。
あ????
高速の脇から道が一本飛び出している!
その道が暫くは高速道路に沿って並行に進んでいるのだ!どうやら、再度高速道路に乗ってはならず、高速道路に入るicの脇道へと入らなければならないようだった。
「やばい!!ここじゃない!!」
私は慌てて振り返るが、既に御醤油がゲートを通過した所であった。
私はスマホを振りかざし、二人に現場を説明すると、二人も状況を飲み込むにつれ愕然とした表情になった。
調べるとこのまま真っ直ぐいくと宮崎市とは全く関係ないところに行くようだった。
すぐさま、ここから出なくてはいけない。
私は踵を返し、ゲートまで行くと、対向車線側にいる職員と連絡を取ろうとした。
しかし、渡るわけにもいかないし、まごまごとゲート付近でうろつく事しかできない。
流石はネクスコ西日本の職員で、私が狼狽えているのを見て、ゲートについているスピーカーでどうかされましたか?ど聞いてくれた。
私は間違えて入ってーと言うと、あぁと声の主が出てきてくれた。
職員の人曰く、ここからUターンして出口に行くことは出来ず、一旦次の料金所に行って引き返してこなければいけないらしい。
私達は、出口にスッと入らせてもらえればいいと、たかをかくくっていただけに、唖然としてしまった。
「次の出口まで何分ですか……??」
我々はおそるおそる尋ねると、次のicまで20分ということだ。つまり、この間違って高速に入るというミスで40分のロスということだ。
私達は顔を見合わせた。
どうやら、今日は永遠に終わらないらしい。
一切の非は無い職員さんは、申し訳なさそうに料金はかかりませんので次のicの職員に理由を説明下さいと説明してくれた。
私達は虚に頷き、バイクに跨る。
最早、腰やケツの痛みもどこにも無い。あるのは心の無だけだった。
再度出発した我々は、一言も言葉を発さずに一路闇に突き進んだ。
今までは、一応、走れば走るだけ前に進んでいる実感があったが今回は違う。ただやらなくてもよかった、無駄な時間を費やしているに過ぎない。
私を先頭に闇雲にひたすら走り続けていると、
インカムから一言
「速いかも」と御醤油の声が聞こえた。
私は「あぁ」と声を漏らし、気持ちだけ速度を緩める。
こうして永久に思える20分を乗り越え、次のicまで辿り着いた。
一番外側の出口に入ると、すぐに職員が現れて、手持ちの入場券に再入場の確認印を押印してくれた。
前のicの職員さんが話をしてくれてたのか、スムーズに対向車線に入り直すと、次の永久の20分に向け走り始めた。
ここ、2時間近くは正直何も変わり映えしない景色の中を走っている。その為か、思い出して書いている現段階では、記憶が混濁してほんの一瞬の瞬間しか走っていないような気になるから不思議なのだが、当時はただひたすら永遠に続くように感じた。
永久の終わりに、ようやく先程入ってきたicが見えた。そこは1秒前とも、随分昔に入ってきたようにも感じる。
icに入ると、高速に入った時と同じ職員さんが、お疲れ様でした。と確認印を押された券を受け取り、私達は高速道路を抜け出した。
高速道路からようやく排出された我々は、若干の速度感覚のバグを起こしながらも、40分前に既に通っていたはずの道をようやく通過する。
時計を見ると、既に21時半を超えているが、どうやら順調にいけば今日のうちにはホテルに着く事が出来そうだ。
しかしながらホテルには、なにを勘違いしたか20時には着くと予約していた。
先の見えた我々は、トイレ休憩兼ホテルへ到着時間の変更を伝えるためコンビニ休憩を挟むこととした。
文明の光を久しぶり浴びた私は、母の胎内に帰ってきたような安心感を感じた。
特に朝から何も食べていない御塩達は本当に空腹だったようで、肉まんとあったかいお茶を即座に購入していた。御醤油は夏用グローブでの長時間走行で手がイかれてたようで、あったかいお茶を握りながら「なんか痛い!」と驚いている。
各々コンビニで用事を済まし、宮崎市内へのラストランのためにバイクの足元で肉まんをほおばりながら休憩をした。
ホテルを予約していた御塩が、到着時間の変更を電話で伝え、お醤油と私は着いてから空いている居酒屋を探した。
電話を終えた御塩が不服そうに唸った。
どうしたかと聞いてみると、
「どうもホテル、バイク止めるとこ無いらしくってー。近くの有料駐車場に止めてくれって言われたわ」
とのことだった。
バイク旅初めての我々にとって、駐車場付きなのにバイクを止めることができないホテルがあるというのは盲点だった。そういうこともあるのか……。
ともかく着いたら、ホテル近くの駐車場を探す必要があるらしい。
「なるほど」と私たちは重い腰を上げ、再度バイクに跨る。
今まではバイクに跨るとわくわくしていたのだが、今は深いため息が出る。さて、やるかという感じだ。
再び動き出したものの、目的地まで残り30分で到着するようで、どこか
道なりも今までの山道から広い車線となり、すぐさま片側2車線へとなった。
街並みも都市部の郊外然としており、等間隔に並んだ街頭やパチンコ店やコンビニエンスストアから漏れ出す光は、行く先を明るく照らしている。
明らかに市街地に近づいており、ようやく今日は終わるのかもしれないという実感が沸いてきた。
その矢先だった。
インカムから『接続が切れました』と機械音声でアナウンスがあった。
「え、切れた??」私は慌てて確認する。
それと当時に
「あれ、なんか言った?」御醤油の声が聞こえた。
「なんか今、接続がって……あれ、スマホ落とした?」
手元を見ると、スマホはハンドルマウントにくくりつけられている。
「なんだったんだろー、あれ御塩??」
私と御醤油は塩塩と連呼しながら、最後列にいる御塩をミラーで見る。御塩とgsxは確かに我々の最後尾にいて無言で共に夜道を走っている。
しかし、もう彼の声は我々に届くことはなかった……。
ただ無言に夜道を並走する彼を見て、私は火の鳥宇宙編っぽいなーと漠然と感じた。
「インカム充電切れた!」
信号待ちで並んだ時、御塩は叫んだ。
インカムが切れたからと言って、叫ばなくても聞こえる。
私たちは体力以上にすべてが満身創痍になっているようだ。
だが、もう目的地は目と鼻の先まで迫っていた。
道路はすでに片側3車線になっている。
どうやらここが宮崎市街地のようだ。
私は熊本県民特有の、福岡県以外の九州の県を無意識に田舎扱いしていたのだが、どうやら宮崎市街地は結構栄えており、道路沿いにデパートや飲食店が立ち並んでいる。
私は、宮崎といえば海とマンゴーしか無いと思いこんでいたため驚いた。
私達か予約したホテルはその市街地の繁華街ど真ん中にあり、近くまで来ると看板が視認できた。
そのホテルのロゴが見えた瞬間、ようやく長い今日が終わったことに安堵し深いため息をつく。
先頭にいた御醤油がハンドサインで左を指し、裏路地に入っていくと私達もそれに続いた。
左折してツープロック先を右に入るとそこは、ここ5時間近く待ち望んでいた桃源郷であるドーミーインホテルだった。
やっと着いたー!と皆してため息をつく。
どうやら先程の電話でホテルには駐輪スペースが無いとのことだったので、周りを見渡すと目の前にtimesがあった。
そこにするかとtimesの黄色い看板目指して、一同突入し、御醤油のシャドウはゲートが空き入っていく。次の私も続いて入ろうとしたのだが、先程上がったゲートが上がらない。
あれ?
もう一度入り直すも上がらない。
背筋がゾッとする感覚があった。
あれ、timesってバイク入れない?じゃあさっきシャドウが入ったのは??
念のため御塩のgsxに試して貰うも、ゲートは開かなかった。
御塩も緊張した顔になる。
「入んないの???」
御醤油がバイクを止めやって来るが、どうしてもバーは上がらない。
我々は知らない土地の繁華街ど真ん中で、駐輪場難民になった。
冷静に周りを見渡すと、そこは居酒屋の客やキャッチが往来しており、Times付近でウロウロしている我々は少し目立っている。
私はTimesの利用規約に書いてある緊急連絡先へ、急ぎ電話した。
しかし、電話はずっとコールし続けているが、なかなか繋がらない。
ここに来て焦りがつのっていく。
御塩と御醤油は他の駐輪場をスマホで探している。
2分くらい待ってようやく繋がった。
担当者が出ると、私は慌て現状を説明した。すると担当者が申し訳無さそうに一言、
「Timesにはバイクをお停めすることはできません」
衝撃だった。ただなんとなく、そうだろうなーと思ってたので、どちらかというと正式に焦らなくならなきゃいけなくなった。
誤ってシャドウを入れた旨を話し、精算をして出庫する旨を了承得て通話は終わった。
通話内容を、二人に話し、二人が調べた内容を確認すると、
まず近くにバイク用の駐輪場はなく、徒歩15分以上離れた市役所庁舎か、宮崎駅まで行けばあるようだった。ただ、駐輪場ならいくつかあるようでそこを確認すべきということとなった。
私たちは、とりあえずバイクを置けている御醤油がホテルへ行き、チェックインの準備とホテルの人にバイクを停める場所を聞き出すこととなり、私たちは御塩が目途をつけた駐輪場を確認することとした。
私と御塩は再度バイクにまたがり、深夜の繁華街の奥地へと向かった。
これまた宮崎市の繁華街はしっかりと繁華街であり、バイクを走らせる道路は路駐された車が多く停まり、ビールのケースが道路へ出されている。
居酒屋の前にたむろしている人たちから、夜23時にバイクを走らせる我々への怪訝な視線を耐え、御塩が見つけた駐輪場についた。
その駐輪場は、繁華街内の公園に付随しており、公園の薄汚れた公衆便所の裏にあった。
公園には23時にスケートボードをしている若者がおり、端には寝転がっている人もいた。公園出口にはキャッチがたむろしていて、こちらをジロジロながめてくる。
駐輪場内には自転車がところ狭しと並べられ、バイクは、車体の色がくすんだスクーターが一台、通路のど真ん中に停まっているのみであった。
つまり、圧倒的に己の愛車を停めるには場違いな場所であった。
周りを見渡していると、御塩と目が合った。
御塩も目で、ここには停めたくないと言っているのがわかる。明日の朝にはバイクは五体満足でいられる保証はなさそうだった。
私は別のところも探そうと提案していると、ホテルに行っている御醤油から着信がきた。
御醤油もどこか聞き出せてないと駅までバイクを停めに行かなければならない。
「どこか停めれましたか?」
御醤油の問いに、いや……とうまく答えられなかった。
「なんか、ホテルの人、こっち停めていいって言ってますけど!」
御醤油の発言に私は耳を疑った。
ホテルに戻ると、御醤油とホテルの従業員が待っていた。
従業員は有料ならホテルに付随する駐車場に停めてよく、ホテルの軒下ならタダで停めていいとのことだった。
私たちは、なんとも言えない気持ちで軒下にバイクを停めた。
荷物を受け取り、チェックインを済ませ、ロビーでサービスの夜鳴き蕎麦を食べながら、誰かがぽつりと言った。
「つまり、この時間はなんだったん??」
私も、停めれた安堵と、死ぬほど疲れている中で謎のエクストラステージの苦労を行った悲しみで、上手く自分の感情を言語化できないでいた。
夜鳴き蕎麦は、御醤油たちにとって泣くほど美味かったらしい。
夜鳴き蕎麦で少しばかり落ち着いた我々は、ロビーの地べたに投げ捨てていた荷物を担ぎ、最後の急に重くなった足取りで、予約していた部屋へ向かう。
部屋は、広々とした部屋に広いベッドが三つあるかなり良い部屋だった。
当時、新型コロナで都道府県ごとの宿泊補助が手厚かった時期であり、半額以上の割引で宿泊することができた。普段であれば、予算外なホテルなだけに普段泊まる安宿との質の違いに感動する。
そして、カードキーでロックを開け、壁の電気スイッチにカードを挿す瞬間はなぜか楽しい。
我々は適当に荷物を投げ捨てると、倒れこむようにベッドへダイブした。
「やっと、終わったー!」
私が言うのと同時に、皆一同にため息をついた。
ようやく終わりのないと感じた今日が終わったのだ。
「あー、蕎麦美味いし風呂あるし、布団気持ちいいし、駐輪場騙される以外完璧やなー」
私は言うのと同時に、最後の力を振り絞ってスマホを眺めた。
今回の宿泊補助には宮崎県内で使用できる3,000円ほどの商品券がついており、明日宮崎県を発つ我々としては、どこかで使っておきたかった。
現在23時であり、そろそろ飲食店も閉店しそうであるため、ホテルで休むのも早々に体に鞭を打って再度宮崎市街地に出かける。
最初はすき屋やファミレスなら空いてるはずだと探して歩いたが、ホテルを出てすぐの所に、チェーン店ではなさそうな居酒屋があった。
旅先のチェーン店ではなさそうな木目調の居酒屋は、基本美味いと謎の信頼がある。
「どうする?あそこにする?」「え、おれはどこでもいいけど、あそこにする?」「俺も食べれるならどこでもいいけど」「え、どうする?」「どうする?」
と誰も最終決定権を行使して責任を押し付けあいながらその居酒屋に吸い込まれていった。
居酒屋の暖簾をくぐると、奥から駆けつけてきたお兄さんは「あと、30分でラストオダーです」と告げてきた。元々、そこまで長居するつもりもなかったために、我々も快諾して席まで赴く。
この店はラストオーダー間際の割にはにぎわっており、カウンター席は常連客のような雰囲気の方々で賑わっている。
そのカウンター席の後ろに、2・3個あるテーブル席に着くと、早速メニュー表を広げた。
どうやら、この居酒屋の料理表には串や唐揚げといったお決まりの居酒屋メニューの他に郷土料理も多く、我々はチキン南蛮やワニの肉といった郷土料理を中心に頼み、飲み物は壁に大きく宮崎ハイボールのポスターが掲げてあったため、それを頼んだ。
飲み物が届くまで、SNSを無言で確認する。たった一日触っていないだけなのに、かなり久しぶりにSNSを見たような気になった。
私たちの元に宮崎ハイボールが届くと、乾杯とグラスを合わせて宮崎ハイボールをあおった。
宮崎ハイボールは、どうやら宮崎のご当地焼酎のソーダ割りのようで、スッキリしていて飲みやすい。
御醤油は三分の一ほど飲んだジョッキをテーブルの上に置くと
「いやー、死ぬかと思ったな」
と言った。
「どこがよ?」「いや、高速で俺後ろだったけどめちゃ煽られてたからね」「譲り車線なかったな~」「これでこけたら死ぬんだなーってめっちゃ冷静に思ったわ」「俺は山中でガソリン切れかかった時絶望いたけど」「あー」「マジであそこにガソリンスタンドあってよかったわ」「ある方がおかしいくらい森の中でしたよね」「無かったんじゃね……w」「え?」
身体中にアルコールが回ると、一気に身体が落ち着いていくのが分かる。
ようやく今日が終ったのだと実感した。
ワニ肉やカンガルー肉も馬刺しや鳥刺しみたいな感覚で結構美味しい。
しかしそれ以上に焼き鳥串は、いかにもな居酒屋の味がして、想像通りな分、私を安心させてくれた。
直ぐ様私は、二杯目の宮崎ハイボールを頼んだが、御塩と御醤油は普段からアルコールを飲まない為二杯目は烏龍茶だった。それでも居酒屋の雰囲気もあっていつも以上に軽快に話が進む。
今日我々は半日以上もインカムを繋いて話をしてきたはずだった。それでも、話すネタに尽きず閉店の時間のため退席する時には少しばかりの名残惜しさを感じた。本当の意味で今日が終ってしまう気がして、口惜しかった。
居酒屋で会計を済ませ外に出た。深夜0時に近い宮崎市街地の商店街は既に殆どが閉まっており、人足もまばらであった。
初めての宮崎市内であったが、もう既にこの街を知るには遅い時間だった。明日は、この街を知る前には出発するのだろう。
バイク旅の宿泊地は、本当に宿泊以上の意味を持たないのだなと少し実感した。 車での旅だと、宿泊地で何をするのかが主題になることが多いが、バイクだと宿泊地までに何をするのかが主題になることが多い。
それでも、こうして知らない街の終わりを歩くのはなんだか旅情があっていいなと感じた。
ホテル横のコンビニに寄って、水とスーパーカップを買い、ホテルの部屋に戻った。
部屋につくなり、御塩はテレビを付け、御醤油はスマホを見始めた為、私は断りを入れてシャワーを浴びることにした。
風呂から上がると、御醤油が入れ違いに風呂へ入っていった。御塩は、まだテレビを見ている。私は冷蔵庫に入れずに溶けかかったスーパーカップを食べながら、御塩にとって寝る前にテレビを見ることはルーティンの一貫なんだなと漠然と感じた。
スーパーカップを食べ終わると、御塩が風呂の準備をしているのを横目に、私はベッドに横になりスマホをいじり始めたのだがそこで私は寝落ちした。
起きると既に朝の7時前になっていた。
空は既に明るく、日がさしている。
窓の外の、少し高所から見るえる繁華街の朝の景色は自分が旅先であると実感させてくれる。
御塩たちは、未だ寝息を立てて寝ている。
今思い返すと、私は旅先では早く寝て次の日は早く起きて行動するタイプだった。いつもとは逆で笑える。
私は特にすることもなく、スマホを触って二人が起きるのを待っていたのだが、結局二人が起きたのはチェックアウト直前の9時半だった。それも、私が流石にチェックアウトまでに間に合わないかもと思って起こしたのだった。
そこから、荷物をまとめて慌ててチェックアウトを済ませて、かなり久々に乗る感覚がする十時間ぶりぐらいのバイクに跨った。
実を言うと、この旅行の二日目は私の記憶に殆ど残っていない。
最初の予定では、大分まで上がり温泉に入って帰ろうと予定を立てていたのであるが、もう既にそんな時間も体力も無いことはお互いに何となく分かっていたのだ。
そのため、出発こそ当初の予定通りのルートで進んでいたものの、一時間くらい先の道の駅でトイレ休憩を挟んでいた時にはもう帰るかという話に自然となっていた。
何しろ、もうそこまで大分に行くことにもバイクに乗り続けることにも、私達がワクワクしなくなっていたのだ。
面白いことに、帰りのルートを高千穂から阿蘇を通り帰宅すると一同決めた後は、何だか心が軽くなり再びバイクに乗ることが楽しくなり始めた。
先程、雄川の滝の楽しさをその手前の橋で使い果たしたという話をしたが、この旅のそれが1日目であったというわけだ。
だからこの旅の話は一日目が終われば、それで終わってしまう。
だからこそ、私達はその後高千穂へと進路を変えて阿蘇を通り帰宅した。
途中、阿蘇で天気予報に無い雨が振り、唯一合羽を持ってこなかった御塩が雨に濡れ、寒さから、インカムでの会話が寒い帰りたいbotと化したのは面白かったが割愛する。
結局、出発が遅れて10時頃になった割には、私が家についたのは、想像よりも遥かに早い16時頃だった。
最初に家に近づいた私は、俺こっちだから!とインカムで伝えて二人とは違う方向に舵を切り、既に見知った国道の大通りから一人別れた。
インカムからはじゃーなー!また!とか聞こえたあと、直ぐに通話距離を離れたのか「通話が切れました」とアナウンスが流れた。
その瞬間、ぐっと寂しい思いが去来した。楽しい旅が終わり、日常に帰ってきたのだ。
インカムの通話が終ると、自動的に私の音楽アプリと繋がり、今まで友人の声が流れていたスピーカーからチャットモンチーの染まるよが流れ始めた。
私はその曲を口ずさみながら、家につくまでの残り数分の帰路についた。